今週の出来ごとでした。
振り返ってみたら、仕事に行くいつもの通勤途中で
5人の知らない人に話しかけました。
一人は、おばあちゃん。
バスの一番後ろの長い席の橋と橋に座っていて、
持っていた袋が倒れた時にイスに落ちたタマゴに気付いていなかったので、
「タマゴ、落ちてますよ」と言って渡しました。
二人目は、おばちゃん。
バスの中で広げたパンフレットから、チラシが落ちたことに気付いていなかったので
「落ちましたよ」と言って渡しました。
三人目は、盲目で杖を使って歩いていた男性。
歩く方向が一緒だったので、「手、引きましょうか?」と言って駅まで一緒に行きました。
四人目は、コジマ電気の店員さん。
通勤時に通るコジマ電気の目の前に車の鍵が落ちてたので、
「ここのお客さんのか分からないですけど、お店の前に落ちてたんで」
といって、鍵をコジマ電気に持っていきました。
五人目は、バスの運転手さん。
バスを降りる時に、手袋が落ちてたので降りる時に
「落とし物です」と言って渡しました。
これって、日常の中で反射的にしたことです。
「一日一膳」なんて掲げてるわけでもないし、何をしたとも思ってません。
でも、ひとつふと気付いたことは
困っている人がいたら助ける、自分にできることがあれば手を差し出す…
そんな人として当たり前のことが
海外留学から帰ってきた私は、前よりも当たり前にできている。
以前は、正しいことをしているのに何とな〜く周りの目が気になって
一声かけられなかったり、
「逆に迷惑かな…」とかいろいろ頭の中で考えてしまったりして
一歩行動に踏み出せなかったりすることもありました。
でもきっと、これが反射的にできる様になったのは
海外生活で、そんな人間としての自然の優しさにたくさん触れたから。
海外で街を歩いていると、知らない人に声をかけられたり
助けられたりすることがよくあります。
たとえば、携帯電話をリュックの横のポケットに突っ込んで歩いていたら
中国人のおばあちゃんに「盗まれるから、ちゃんとバッグのなかに入れときなさい!」
と注意してもらったり(しかもその人、中国語しか話せないのに
わざわざジェスチャーと少ない英単語で教えてくれました。)
気付かずにリュックのファスナーが開いたまま歩いていると
駅に居た女の人が教えてくれたり、
街で、自然体に人と人が助け合うというのが普通。(リュック系ばっかり)
これ、日本だとどうでしょう…?
意外と「あの人携帯あんなとこに入れてたらとられそう…」
「あの人の鞄開いてる!気になる…」と
ほとんどの人が、心の中で言うだけで終わってるんじゃないでしょうか…?
何だか孤立化した社会で、自然な一声さえかけ辛い雰囲気が日本にはありますが
そんなのは、声をかける自分が気にするか気にしないかの問題で。
ただ「知らない人」ってだけでみんな人間なので、
笑顔で声をかけたら笑顔で応えてくれるし
こちらが心をオープンに接すれば、相手もオープンになる。
相手はいつでも鏡なんですね。
自分が「困ってるから力になりたいな」と思っても
相手からすればありがた迷惑かも…なんてことは、気にしなくていいんです。
もしそれがありがた迷惑だったとしたら、
「あ、そうでしたか、こりゃどうも!」でおしまい。
海外留学って、人間らしく笑って、人間らしく感じて、人間らしく人と接して
人間らしく行きていくっていう
忘れてはいけない、大切なものを教えてくれる
とってもいい経験でした。
今更ながら…
海外留学の生活の中で当たり前に染み付いたことだからこそ
「今更」気付いたんだろうなぁ。。。
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