おはようございます。
津梁貿易の金城です。
最近暑くてとろけそうです。
夏になると冬が恋しくなりますね。
本日は、シリーズ化している兵法三十六計です。
少しおさらいをすると、この記事のタイトルにある、「敵戦計」とは、
こちらが余裕を持って戦える、優勢の場合の作戦を書いたパートです。
この、勝戦計のほかに、敵戦計・攻戦計・混戦計・併戦計・敗戦計があります。
中国古典:兵法三十六計をまとめてみたい方はこちらをどうぞ。
中国古典:兵法三十六計
では、今日のテーマは「暗渡陳倉」「暗かに陳倉に渡る」
原文は以下です。
示之以動(動いているものを見せて)
利其静而有主(静かなところの利益を得る)
益動而巽(その利益は、動くことで得る)
これは、以下の故事からの知恵です。
秦滅亡後の紀元前206年、劉邦は項羽から、蜀の漢中(現陝西省)に封じられました。
劉邦は、項羽の拠点関中へ進軍する意図がないことを誇示するために、秦嶺山脈の褒河に沿った断崖絶壁にある木造橋梁の街道、通称「蜀の桟道」を焼き払ってしまったそうです。
劉邦の臣下となった武将韓信は、項羽が反乱平定のため各地を転戦するようになったのを好機として、敵に知れるように「蜀の桟道」を目立つ大人数の人夫で修理するのとあわせ、密かに山脈を大きく迂回して陳倉から関中を奇襲するという作戦を献策し実行に移しました。
敵将章邯は、長大な「蜀の桟道」を修理しているはずの劉邦軍が奇襲を行うとは夢にも思わず、韓信は章邯軍のみならず、他の項羽側の武将も滅ぼして関中を掌握して、劉邦の天下統一、漢の建国のさきがけとなったそうです。
これを大まかに解説すると、
暗渡陳倉は、声東撃西と似ているようですが、
声東撃西では、攻撃開始は敵にむしろ知られるべきであり、複数の目標への攻撃によって真の攻撃目標を敵に悟らせないことに主眼があるのに対して、
暗渡陳倉では、偽装工作にあたる「明修桟道」により、攻撃開始自体を敵に悟らせないことに主眼があります。
それでは明日、この「暗渡陳倉」をアフリカマーケットに応用した例をご紹介しますのでお楽しみに!
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