雨の中の平和行進
25日(土)曇り時々雨。今年も広島・長崎に向けての平和大行進に参加し、往復1時間ほどのデモに参加してきた。今年は原発事故もあったから、一般参加者が増えるかなと期待したが、活動者中心の30名ほどのデモにしかならなかった。日本人は怒らないなあ。
福島原発の事故の後、経産省(保安院)は世論に押され、一応全国の原発の点検、特に津波対策と非常電源対策を指示した。柏崎・刈羽原発ではわずか1カ月後くらいに、防潮壁の設置を決めて、国や県に通知していたが、昨日一転「止水板で十分」として撤回した。
当然のことながら、新潟県知事は「東電はデタラメ」柏崎、刈羽の首長も不信感を表明した。しかし、このポーズもいつまで続くかだ。情報資料室は5月16日現在、地震発生直後から半日間のデータが公開されていないまま、「想定外の津波説」強調に疑問があると。
若者も数名いたが
同じ穴のムジナ原子力安全委員会の小山田修委員が4月20日、データも示さないまま「地震による原発損傷はなかった」との発言も疑問視している。東電と原子力安全・保安院の「「隠蔽、改竄、捏造体質」は今に始まったことではない。彼らには02年の前科がある。
国民は忘れかけている。東電は福島、柏崎・刈羽に合計17基(これだけでドイツを楽に上回る)の原発を保有しているが、02年のトラブル隠しとはこの17基に関わる29件の検査記録改竄、隠蔽、捏造発覚事件のことである。日本はおろか世界中に発信された。
かいつまんで再現しておくと、事件の発端は00年7月、通産省に届いた1通の封書だった。いわゆる内部告発文書で実名入りだったと。告発者は米GEの子会社であるGEI社の元社員で東京電力の自主点検を担当していた検査官だった。2年後隠しきれずに公表。
それが02年8月29日の保安院の記者会見だった。80年代後半から90年代にかけて行われた自主点検の記録(17基中13基)で不正が行われた。具体的には最も重要な圧力容器のシュラウド(炉心隔壁)、蒸気乾燥器、炉心スプレイスパージャ等7つの機器に関して。
例えば福島第一原発1号機の86年と88年にシュラウドボルトにひび割れが見つかったが報告せず交換、93年にはシュラウドそのものにひび割れ、95年、96年にも発見されたが隠蔽。しかも、報告は「予防保全」のため交換と捏造。配管類の損傷も同様に隠蔽。
私が報告しているのはこの問題を検証して岩波ブックレットNO582「東電原発トラブル隠し」に基づくものだが、これらは原子炉等規制法に明白に違反する内容だが、保安院は刑事告発も行政処分さえしなかった。理由は「立証が難しい」この癒着ぶりである!
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