こんにちは
カナダで暮らしてみて、母国に対してすごく納得できること一つ。
”日本人は集団的なマゾヒスト”
日本の社会常識に染められる前だからこそストレートに疑問を抱く事ができたのかもしれないけれど、それはなんとも可哀想な実態であり今の経済と政治が如実に再現していることがわかります。
キーワードは「周りもやっているから」「空気を読む」「勤勉」ですね。
これだけ社会問題としてブラック企業という言葉が生まれたり、政治不満が高まったりしているのに、ストライキやデモのような大規模な反対運動が見られないのは異常なことのように思えます。なぜでしょう?風潮として間違った常識が脅迫概念として人々の心に差し迫っているからではないでしょうか?
カナセウはどうもこの国の政治やマスコミ報道が”勤勉は美徳、権利主張は甘え”と国民に刷り込み教育をしているような気がします。
サービス残業問題や雇用条件の齟齬が生じてもとりわけ大きな事柄として取り上げられず、本来倒産して当たり前の危機的経営を続けるゾンビ企業がこの国の大半を占めているのも、「そうでもしなければ経済がまわらない」「それが社会」「事を起こせば後が無い」というような洗脳に近い考えや悪習がいつまでも無くならないからです。
ニュースを見ててふと思う、、、、なんで違法行為をしているのに会社名が伏せられているのだろう?なんでストライキを起こすとさも「仕事を怠けている」みたいなニュアンスの報道をされるんだろう??って。
いつもいつも「日本人は勤勉だ」という綺麗な言葉で汚い実態を隠してる。そしてそれを当たり前のように感じているのであればマゾとしか言いようが無い。
ゆとり教育を受けたボクら若い世代が批判されるのも、当たり前の権利を当たり前のように主張してしまうからで、マゾヒストな日本社会からすればそれは論外だった。土日出勤や飲み会を断る、定時帰宅、有給休暇の要求など名前だけだった権利を自然のことのように望んでしまうボクらが何を考えているかがわからないのであろう、、まるでアメリカ人やヨーロッパ人の考えが理解できないように。
考えてみればボクらはアメリカ人やヨーロッパ人に近いのかもしれない(笑)
いや、まあそれは言い方がおかしいのかもしれないけど、上の世代とは明らかに価値観が違うのは確か。幸せの基準ってヤツかな。
今はTVも冷蔵庫も携帯もパソコンも当たり前の時代で、サービス産業も黎明期とは違って完成されたものとなってる。じゃあそういった物もサービスも溢れた状況の中で次に何が欲しいって、、時間じゃない?自分が有意義に過ごせる時間じゃない?ってこと。
これまでは会社と個人の関係が強固に結ばれる事で様々なメリットがあったわけだけれど、今はそれが無いわけだから、ボクらが個人の権利を主張するのもごく自然なわけで、給与面や待遇で期待できないのであればせめて法律で認められている時間は守りたいという、、、ゆとりはある意味マゾからニュートラルな価値観をもった人間への変化・個別主義社会への変化の象徴なのかもしれない。
近年のジェネレーションギャップで生まれる摩擦や軋轢の一片をカナセウはこう見てる
集団主義(collectivism)
VS
個別主義(individualism)
以前ブログ記事にも書いたけれど、日本人は皆で幸せになろうというよりも誰か1人が幸せでいるのはおかしい!!てな変な感じの”国民皆不幸社会”(笑)だから本質は変わらないのかもしれないし、必ずしもこの変化があったとは断言できない。
けど、、、価値観の多様化が始まった社会において(主にインターネット普及による)これまでのように一部のメディアが国民意識やトレンドを操作できなくなってきたのであれば、どうにかして脱マゾ社会を果たしてほしいとカナセウは願っております。
法で定められたものを「周りがやっているから」と平然と破っているようではいつまでたっても幸せはやってこない。中国の著作権への意識の低さを、労働基準法を無視している日本人の誰が責めることができようか。
まあ、綺麗事だらけですけどね、これはカナセウの独断と偏見による一つの意見ということで嫌だったらスルーしちゃってください☆
See you
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