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No.1403 韓国併合100年を考える(17)

今年も咲いた我が家のハイビスカス 20日(金)快晴。甲子園で新潟明訓は惜敗。昨年は文理、今年は明訓と新潟の存在を知らしめた。一昔前は出ると負けで誰も期待しなかった。ここ数年、新潟のスポーツ熱は目を見張るばかりだ。アルビレックス(サッカー、野球、バスケ等)の影響は大だと思う。

 朴は61年のクーデターの2年後の63年、大統領選に立候補当選し、形の上では民選大統領となったが、強権政治は変わらなかった。当時の韓国は政治の腐敗で国力は疲弊、日本同様不景気の真っただ中にあった。日本との国交回復を急ぐ理由が朴にはあったのだ。

 64年朴は佐藤内閣の誕生を国交回復の好機とみた。高杉妄言(暴言)「韓国併合は善行のため、創氏改名は日本人と同じ扱いをするため」によって中断していた日韓交渉の再開を急いだ。韓国側首席代表に任命したのが金東祚(元駐日大使、外相)である。

今満開の我が家の百日紅 氏の著書「韓日の和解」によれば、朴は半年後の妥結を指示し全権を与えた。時はベトナム戦争で米は北爆に踏み切った年であり、ベトナムへの派兵要請があり、見返りにアメリカからも援助を引き出すことができると考えた。アメリカの思惑は日本にも向いた。

 朴の要請もあったが、米は日韓の国交回復によって賠償金を日本に支払わせることによって、肩代わりが可能だと考えた。実際日本側の当初の回答額は7千万ドルだったわけだから、妥結額無償3億、有償2億、商業借款1億は米の圧力なしにはあり得えない数字だ。

 日韓間には賠償はもちろん、漁業問題(李ライン)、在日朝鮮人の法的地位の向上、文化財の返還、従軍慰安婦や強制連行等々難しい問題が山ほどあった。それを請求権として一括解決を図ろうとすることに無理があったのだ。朴は請求権放棄をあっさり飲んだ。

我が家の命のアサガオ 最後まで残った問題は漁業と在日の問題だった。韓国国内は反対運動が激化したのは当然のことだった。私(日本の若者)も反対のために街頭に出た。韓国で反対運動の先頭に立ったのは朴、全、盧と続いた軍人政権のあとの金泳三、金大中の世代である。

 日本がサンフランシスコ条約で連合国から押し付けられた請求権放棄、幕末に欧米諸国から押し付けられた不平等条約をそっくりアジア諸国に押し付けるやり方である。中国への下関条約や明治維新の際の日鮮修好条規がそれである。明治以来の日本外交なのだ。

 韓国併合によって日本人にされ、納税、徴兵、労働まで「お前たちは日本人なのだ」とされて36年、敗戦とともに「お前たちは日本人ではない」から年金も選挙権も被爆保障も対象ではないというのだ。そんな無謀が国際社会で通用するのかと言いたい。 
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