22日(日)快晴。前にも似たようなタイトルで心に残る教え子たちを報告した記憶があるが、又違った角度から取り上げて若者を見つめてみたい。先ずは1981年~84年在任したシンガポール日本人学校の生徒たち。私は40歳で帰国したが、彼らは私の年を超えた。
赴任時3クラスあったが途中帰国(受験のため)があって、卒業時は2クラス。手作り教育がしたいというのが応募動機の一つだったが、世界一の日本人学校で中学部は400人もいた。教科書は東京都のもので基本的には国内と変わらない体制だった。
それでも細かく見れば国内の学校とはかなり違う。まず生徒。シンガポール生まれ、欧米や近隣諸国からの転入、国内(関東、関西中心)からの転入と出身地がバラバラで個性豊かな生徒が多かった。英語、マレー語、中国語を自由に話す生徒もかなりいた。
日本人会の中に学校運営委員会(邦人企業の代表)が管理する私立学校だが学習指導要領の網があり、教科書は東京に合わせてあり、大きな特色は出せない。それでも規則は緩やかで、制服も持ち物規制もなし、水曜は午前中で終わり、自由が一杯だった。
4時半にはスクールバスで一斉に下校するので部活もなし、我々の出張もない。教材研究や準備に十分な時間を割けた。国内の学校がなぜ忙しい理由が部活と出張であることがはっきりした。何より生徒の能力の高さと意欲の強さが嬉しいことだった。
私のクラスではなかったが歌や踊りの大好きなSachiyoとY子がいた。彼らは中学時代から将来は歌手や俳優になると公言していたが、二人とも夢を実現し、Y子はニューヨークの舞台に立っている。ここで紹介するのはSachiyoだ。東京生まれのシンガポール育ち。
父親がシンガポールで企業を立ち上げ、永住権をとっている関係で、彼女もこの春、日本での歌手活動を切り上げ、シンガポールに移住した。彼女は英語と中国語を自由に完璧に話す。作詩・作曲もやり、3カ国語で歌い分ける。今もアルバムの作成中である。
先日9日の独立記念日に6000人の聴衆を前に歌ったという。彼女のブログにその心境が綴られている。「シンガポールの独立記念日に日本人がパフォーマンスを行うのは初めてとのことでとても緊張しました。なぜなら日本人として歴史的背景を踏まえた上で臨まなくてはいけない場だと、私は考えているからです。今でこそシンガポールでは声高に言わなくなりましたが、以前はこの時期になると、TVでは日本占領下の映像を流していました」彼女は子どもの頃、つらい体験をしたことが、日シ親善事業に関わる本音を吐露しているのです。彼女のウエブサイトで歌もきけます。http://www.sachiyo.net/blog/index.html
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