理想や目標を持たなくなると"老い"は始まるとはよくいわれます。自分に"負い目"を持つと"老い"てしまうということです。ダジャレではありません。過去に拘り、固執し始める言葉が聞かれる。この心の状態を指すものが老いであります。という私も御年68歳ですから他人事ではありません。笑いがなくなったり、驚きの表情がでなくなる、自分から何かをすることが面倒になり、相手が何かをしてくれるのを待つのも、老いの兆候といわれます。老いの原因は、極端な貧困や不幸だからだけでないはずです。意外と、恵まれ過ぎていることも原因はあるかもしれません。ときに自分の今を振り返る、これを私は心がけたいです。あまりも満たされた生活に慣れてしまうと、辛い事に耐えれなくなってしまいます。楽な事以外はやろうとしなくなりがちです。お母さんがみんなやってくれるから、なにもしなくてもよいと思っている若者が大勢います。これは、もう老いの姿です。みんな周りがやってくれのですから、自分でなにかをしようとする気がなくなります。楽に流されるから、いろいろなことが面倒になる、面倒になるからなにもする気が起こらない。そしてなにもしないからなにも解決しない。ものには順序があります。青春の日々にこそ、自分を活かしている創造主に心を留めよ。わたしはそれを言いたいのです。老人は昨日を夢見がちになります。ですが、若者はかならず明日を夢を見るはずです。老いが今そこまできていることに鈍感であるなら、老いていることに他ならないと誰かが言っています。昨日と今日を活かされることの意味をちょっと考えてみませんか。喜びはないと言う年齢にならないうちに、です。 続きを読む