「恩師を振り返る」というシリーズのどこかで、音楽の恩師、近藤艶子先生について記しました。彼女は稚内にいたとき廊下でプロレスの真似をしているときに「ついていらっしゃい、、」と音楽室に私を連れていった先生です。それまで、音楽について全くの文盲状態であった私に歌い方、音符や楽譜の読み方を教えてくれました。そして合唱に導いてくれたのがこの艶子先生です。先生に出会わなかったら音楽との出会いもなかったでしょう。稚内中学校と稚内高校で混声合唱団に入りました。高校で歌った歌が「我が胸に」という曲です。この曲は、NHK唱歌ラジオコンクールの課題曲でした。まだテレビのない時でしたから、ラジオを通して合唱を聞くのが当たり前でした。コンクールには課題曲と自由曲を練習して参加します。何度も何度も練習したお陰か、今もってこの曲を歌うことができます。歌いながら、この曲が与えてくれた胸の高鳴りのようなものをおぼえます。艶子先生は北海道の旭川市でいまだご健在です。------------------- 我が胸に燃え立つ炎 暁の星のように希望明るく さあ友よ沖はるか、ともづな解こう 若き日の夢、青春悔いなし 続きを読む