「カラフル」に楽しく作ってみました「フルカラー」です。「古い殻」を捨てて「振り
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日本に一時帰国しました。しばらく、1日おきくらいに、日本と
マレーシアの記事が交互に行きかいます。最初の今日は、
人生を変えた?懐かしい「四ツ谷駅」の記事です。
日本に帰る前は、1か月前から、いや、それ以前から、あれ
やろうとかこれ買おうとか、なに持ってこようとか・・・いろいろ
計画を立てます。山登りと同じで、行く前の計画作りが楽しい
のです。
何せ、自分達の場合毎日がスケジュール一杯です。なぜなら
大体1週間位しか日本に滞在しないからです。
マレーシアのローカル人からは、東京1週間なんて短すぎると
驚かれますが。 家は無し、車もなし、交通費も高いし・・・
その中で、愛する家族、愛する兄弟に会えれば充分。
四ツ谷駅は、思い出のあるところ。今ほど、地下鉄は発達して
ない頃、線も伸びていない頃だし、黄色い電車の中央線の
市ヶ谷も懐かしい。
どうして、懐かしいのか?下の写真、四ツ谷駅隣接の目の前の
「上智大学」入学試験に2度も落っこちているからだ。田舎から
東京に上京する最初のきっかけだったのが、このハイカラな名前
の大学の入学試験だった。1年間、浪人したのに、2度目も落ちた。
英語が出来なかったし、無理だったんだなぁ~。
(ちなみに、上智大学卒業生には、有名人では「アグネス・チャン」「安藤優子」
「川平慈英」「山田五郎」他、いろんな方がいるみたい)
他の大学に行く気もしなかった。その頭も持ってなかったし、
結局、自分で一人アパートを借りた。3畳のアパートだよ。
当時は当たり前でも、今はまずあり得ない・・・無いでしょう。
すべて3畳の中で生活する・・この狭さの経験は、今後の人生
の生き方に左右したかも・・と思うほど。
後で、3畳から4.5畳・・6畳の部屋へと引っ越ししていったが、
専門学校時代は夜の学生バイトが多かったため、その後の仕事
でも、普通の人とは正反対の逆の生活パターンになってしまった。
下の写真です。四谷カトリック教会があり、つい先日、マレーシア
でもASWARAで「エンディングノート」という砂田麻美さんの
実録画映画が 上映されました。映画を観に行きましたよ。
亡くなったお父さんのエンディングの締めくくりが、ここイグナチオ
教会になりましたね。
千代田区の麹町の四谷駅から、新宿区の四谷3丁目方面を
見た所。この先に、行きつけのパブがあったのだが、今回行ったら
もう閉めていた。街はどんどん変わる。
昔と違って、かなり道路も整備された。秋だから街路樹が
色ずきはじめている。
今回、四ツ谷駅に行った理由は、行きつけのパブの動向と、
落第生、貧乏学生時代を思い返したことと、そして、この下の
お店にも行きたかったことです。
次回の記事になりますけど、「トマトラーメン」別名”太陽ラーメン”
を食べたかったのです。
今日の、最後に・・・
タイトルに「第二の人生が変わったかもしれない」と書いたけど、
浪人してまで入ろうとした大学に入れなかった。目的があった
ため、もし、入っていれば、違う道を歩んでいたはず。
また、全国飛び回る仕事に付きたかった事もあり、今で言う
「第二の人生」も変わっていたと思う。
今のマレーシアには住んでなかったかもしれない。
人間って、結局、生きた結果、結果論しか言えないけど、あの時、
こうすれば?・・・あの時こうだったら?・・・こうなっていたかも?・・
の思いは、良いにしろ悪いにしろ、年齢問わず、老若男女、人それぞれ
人生、いろいろありますよね。
おまけ・・”この人と結婚してなければ??”も、あるかもです!!
こんなブログでも、いつもお読み下さり有り難うございます。
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