先ほど、地元のチャリティー・マラソンがあるため、
主人と出かけた息子。
背丈は主人よりも高くなりました。
母親と言うのは、
自分の子供が生まれた時の事を良く覚えてるものですよね。
生まれてすぐに赤ちゃんを渡された時は、シンプルに、
小さ~い! と思いました。(と言うか、これくらいのサイズしか無理!とも)
あんな小さい赤ん坊が、
こんなに巨大になるとは、その時思ってもみませんでした。
とにかく、私の場合、年子を育てなきゃならないので、
子供達が小さい時は、この子たちが大きくなったら。。。
なんて、妄想は一切なし!その場その場を乗り切るのに必死でした。
子供達が、2、3歳までは
主人は技術者の仕事をしていて、出張で2w~3Wくらいは出かけてしまいますので、
ほとんどシングルマザーの状態で、大変でした。
ドイツで息子を産んだ時もそんな状態でしたので、
フィリピン人のメイドさんに、たまに手伝ってもらいました。
今はあまりいないのですが、当時、フランクフルトの領事館には
たくさんのフィリピン人メイドさんがいました。
なので、人のメイドさんにお仕事を頼むことが出来たのでした。
彼等は、少しでも稼ぎたいので、電話で頼むと都合をつけて来てくれました。
団地のような宿舎の屋根裏にメイドが住める小さな部屋が昔はありました。
今は昔のようにドイツにメイドを連れてくる人は少なく、
と言うか、全体的にメイドを使ってる人は少なくなりました。
なので、そのメイド専用の屋根裏部屋はもうありません。
今は、その部分を改造して、一番上の階を大きなファミリー用に
2ストーリーのアパートにしてます。
この前のドイツ赴任時の子供達の部屋はそのメイド部屋の改造版でした。
12年くらいでフランクフルトの宿舎周辺もずいぶん変わりました。
しかし、宿舎自体、外見は全く同じ。3年、3年で計6年いましたので、
宿舎のエリアは、自分のご近所ように懐かしいです。
フランクフルトをでる時、ここは気候が悪いし、狭いコミュニティーが苦手なので
二度と帰ってこないだろうと思ったものですが、住めば都。
私の一番好きな都市となりました。
とにかく、今は便利で、はじめの赴任時より数倍暮らしやすくなりました。
歩いて買い物にいけるお店も沢山できましたし、
いつでも電車・バスでシティーに出て買い物できますし、
お散歩ルートは沢山ありますし、ちょっと車で行くと中世の町なんかもあります。
電車、飛行機で、ヨーロッパ各地にすぐ出れるのも、
フランクフルトの魅力ですよね。中央駅は色んな国から来た人で賑わい、
とってもインターナショナルな感じがします。
そこの本屋で、よくフランス語の雑誌を娘は買ってました。
異国の人が多いこの感じは、なんとなく私の生まれ故郷横浜と似ています。
あと、アメリカ人とあまり係わり合いを持ちたくないなら
地元の友達を作りやすいのもフランクフルト。
ほとんどの大卒のドイツ人は英語を話します。
私はアメリカ・コミュニティーにどっぷりって言うのが駄目で、
どこに行っても、地元の人達との方が仲が良かったです。笑
と言うのも、
地元の人のほうが色々知ってるんですよね。
ドイツでは近所にアンドレアとカローラ言うママ友がいて、
その子たちに小児科のいいのを教えてもらったり、
色んな、ご当地情報をもらっていました。
初めての赴任で、この味をしめてしまい、
やっぱり、ここに長く居る人達のほうが色々と情報もってるのよね~
と、ハングアウト=地元の人 が赴任中の私の定番になりました。
なので、私の赴任のスタイルは、全般的に地元密着型の楽しい赴任でした。
赴任者同士の付き合いって、お互い赴任でストレスまみれで、
あまり楽しいものでないのですよね。(人にもよりますが)
赴任のストレスから、精神がおかしくなる人なんかも多々ありますし、
そういうの抜きで付き合える、地元の人の方が楽だったりするんです。
駐在の裏側は経験したものでなければ分かりませんよね。
と言う事で、あれこれあった駐在生活でしたが、
リタイアし、子育ても終盤。
最近は少し心に余裕が出てきて、子供達の赤ちゃんの時を思い出”せ”ます。
ドイツ人とハーフのサンドラ・へフェリンさんの「残念なハーフ論』ではないですが、
うちの子供達は、どちらかと言うと、日本人と思われない、ハーフ・ルックスです。
主人が金髪・青目の典型的ドイツ系なので、生まれた時は目が青かったのです。
ハーフのお子さんで、目が青い赤ちゃんはそんなに珍しくないようですが、
私は自分でも、へ~~~こんなのもあるんだ?思ったものです。
高校の遺伝子を覚えているなら、ちょこっと興味がわいてくる話題ですよね。笑
私は日本人で青い目の遺伝子はたぶんないでしょうから、(先祖が定かではない?w)
なんで、主人の青い目の遺伝子がこんなに強くでる?、、、と不思議でした。
が、青いんですよね。
息子も、娘も、生まれたては青っぽい色のグレーのような目の色でした。
私はすぐに、猫の赤ちゃんを思い出しました。あれだよね、あれ、、、と。
娘の目の色は、
年齢が増すにつれて、青からグリーンがかった深い青でソフトな輝き。
とてもきれいな色でした。
息子は、
生まれてすぐにある、新生児診断の専門家に、
”Bright Blue Eyes !"と絶賛?されました。
確かに、びかびかに光っていましたよね。光を放つ目でした。
その、息子のびかびかな目は、小学校くらいまででしょうか?
それくらいまで、続きましたね。
最近、娘の大学用エッセイ作成の参考資料として、
クロアチアにいた時の動画をPCで娘が見ていたのを横でで見ていましたが、
はいはい、光ってますね。
娘の目は、ソフトな光を放ちますが、息子のはキラキラしてます。
今現在、巨大化した息子は私似ですが、日本人よりヒスパニック系?
と思われるようですよ!www
まあ、私がヒスパニックORフィリピン系のように見えますので。。。w
彼の目の色は、明るい茶色になりました。ベッコウアメのような色です。
友達のお母さんには、プー色~!(ウン○色)といじられていましたが、、、。
小さい時は、誰もが父親似と思ったようです。が、
彼は、赤ちゃんの時から目の色以外私に似ていましたし、
案の定、私似と言われるようになりましたねぇ。
娘の目の色も明るい茶色ですが、ソフトな光は変わりません。
これも外見の個性ですね。彼女は人当たりよく見えるんです。
実際の中身は冷たいですけど。。。笑
やはり猫の子と同じく、
目の色は大きくなると濃い目の色に変化するんですね。
面白いです。
2回目の赴任で参加した歴史教室の先生も言ってましたが、
ドイツにはそのうち、金髪で青い目がいなくなる。。。
といわれてるそうです。
移民が沢山入り、混血の子供が増えると、目の色も暗い色が増えて行きます。
うちの子供達は父親の青目遺伝子を持っていますので、
私と同じように、金髪、青目と結婚すれば、
青目遺伝子の保存にお役に立てそうです。笑

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