シンガポールの中学生用教科書
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17日(火)快晴。ここの天気はつかみにくい。帰国も近いので毎日少しずつ部屋をきれいにしなければならない。午前中かけて、冷蔵庫、流し、トイレを洗剤をつけてきれいに仕上げた。「来た時よりも美しく」は生徒をキャンプに連れて行った時強調した言葉だ。午後は公園で読書。気温が28度まで上がった。
つくる会や自由主義史観論者たちは韓国や中国で「反日教育」が誇大に行われていると強調しているが、逆に彼らはあった事実もなかったと強弁し、隠しようのない事実に対しては白人からの解放のためだとか、欧米諸国に比べればまだましだったと言い逃れる。
だから私はこれでもかと彼らに迫りたい。シンガポールの教科書に書かれている事実を否定できるのか聞きたい。13章の3「中国人を処刑」の項には「彼らはシンガポールの中国人が中国本土に献金し、彼らを援助していたことを知っていた」事実、東南アジア華僑による献金は孫文の革命支援以来のことで、日本軍指導部は承知していた。
猫天国
孫文は東南アジアの中国人を「華僑は革命の母である」と書いていた。教科書の記述は続く。「日本兵は軍に抵抗したという証拠を示して『検証』することができなかった。何か所かでは覆面やマスクをした現地の人(マレー人のこと)の助けを借りた」つまり、マレー人に密告させたのだ。
又、「憲兵隊の恐怖」の項には「ケンペイタイは島中にスパイ(マレー人)を持っていた。誰も信用することはできなかった。スパイされた者はオーチャードの憲兵隊本部に連行され残酷な拷問を受けた。最も一般的な拷問は水責め(口と鼻からホースで大量の水を流し込む)だった。東京ワイン責めなどとも呼んでいた。
イギリスの復帰の項には「45年9月5日、イギリスはシンガポールに戻ってきた。数日の間、イギリスの復帰を歓迎するため、英国旗が飾られた」とある。欧米から解放したはずの植民地宗主国の復帰を歓迎するというのは奇異だ。日本の過酷な支配よりはましだと。
下校中の中学生
その後の教科書記述を見ると「英国支配は日本支配よりはましだったが、一番いいのは自主独立である」と。だから、マラヤやシンガポールはこの後、独立運動に向かうことになるのである。シンガポールは言論統制の厳しい国として知られるが、教科書検定はない。
85年版は例の教科書問題が起きた後に発行されたこともあるが、286ページ中、実に5章だて、79ページを第二次大戦と日本の関係に割いている。そのうちヨーロッパ戦線の解説はわずか8Pに過ぎない。教科書の量的、質的な記述の差は両国民に何をもたらすか。
被害を受けた国や国民が繰り返し近現代史を深く学ぶのは、恨みを植え付けるためばかりではない。自分たちの弱点がどこにあったのかを学び、二度と同じ過ちを招くまいという決意の表れである。それに対して加害国日本の国民は加害の事実さえ隠されている。何も知らずに現地に来て恥をかく人も多い。
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