お友達も沢山できて楽しくやっているように見えたみみ。
しかし、それでも時々夜寝る時に
「日本に帰りたい・・・。」
と急に泣き出す不安定なところがあった。
私の方のCLAの3ヶ月集中コースも、行くというだけで結構大変。
そんな頃に冬休みがやってきて、家族3人で日本に一時帰国した私達。
海外駐在になって初めての家族揃っての日本だ。
ブザンソンの家から東京の実家まで計22時間。
ちょっと久しぶりの日本。
私達は美味しい日本食を沢山食べた。
年末は紅白を見ながら年を越した。
ブラウン管の中でドリカムが歌っていた。
なんとなく聞いたとのある歌。
”一万回やってダメでも、一万一回目にうまくいくかもしれない”というその歌詞を聴きながら私は、進もうとしても空回りするブザンソンの生活を思った。
もうすぐ2006年が終わる・・・。
2007年はどうなっていくのだろう・・・。
だけど、きっとうまくいくと、ドリカムが言ってくれているような気がした・・・。
そして、、、それからみみは日本での親友なつみちゃんといっぱい遊び、新しくできたテーマパーク、キッザニアに行き、欲しいものをいっぱい買ってもらった。
あっという間に過ぎる日々。
日本は私達の故郷だけれど、今ここに私達の本当の居場所は無い。
またフランスに戻る日は近づいた。
私達は成田の近くで前泊をした。
そこで夕食を済まし、おばあちゃん、おじいちゃんに電話したのが間違いだったのかもしれない。
みみは電話で大声で泣き出した。
「ずっと日本にいたい~・・・!」と言って。
そして、部屋に戻るとベッドの上に座り泣き続けた。
「お願い、お願い、フランスに連れて行かないで!日本にいたいの。」
それは、苦しくてどうしようもないというような泣き方だった。
その思いは実は私だって同じだったけれど、
「でもね、ずっとじゃないよ。もう少し頑張ろう。ママも頑張るから。」と私は答えた。
「嫌だ。みみはフランスなんか好きじゃない。日本にいたい。だって、、日本はみみの国でしょう?」
そして、ものすごい号泣に戸惑った夫に向かって、真剣な顔をしたみみは言った。
「パパ。どうしてパパはフランスで働いているの?どうしてこんなことになったの?教えて。どうして?」
涙が次から次へと流れた。
「それは・・・パパはフランスで働きたかったんだ・・・。」
夫はうまく答えることができなかった。
パパは、、、頑張って頑張ってやっとフランスに行けたんだよ・・。
だけど、みみは日本にいたいの・・・。
泣き疲れてベッドに横たわりながら、私は”最後の言葉”を言った。
「みみちゃん・・・、2人で日本に帰って来ようか・・・。」
「うん・・・。」
ああ・・・そうか、みみは”うん”って言ったのか・・・。
しかし、パパは帰れない。ママと2人でという意味だよと言うと、みみは言った。
「そんなの嫌!そんなこと2度と言わないで!!」
どうすればいいのだろう・・・。
それじゃあ、良い解決策なんて何も無い・・・。
疲れて・・・明け方にやっと寝た・・・。
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朝、起きた私達は1Fのビュッフェに行き、朝食をとった。
不思議なことにみみは、あの号泣なんてなかったかのように振舞った。
どうしたのだろう・・・?
夫と顔を見合わせる私・・・。
そして、私達は部屋に戻り、成田に向かった。
最後、ゲートに入る前の待合場所までも、みみは日本にいたい、フランスが嫌だなんて話は一切しなかった。
そしてとうとうシャルルドゴール行きの最終アナウンスが流れた時、みみは私の手を取って言った。
「ママ、行くよ!」
私の手を引っ張って振り返りもせずゲートの中に進んで行ったみみの後姿を見
て私は思った。
”みみちゃん・・・ごめん・・・”
私は、その小さな胸の中に溢れる思いを忘れてはいけないと思った。
そして、”もう少しだけ・・・一緒に頑張ろう・・・”と。