週末の良い猫は比較的落ち着いていた。だが弱ってきているのは確実で、ウサオは長くて年内、おそらくクリスマスまで持たないだろうと私に告げ、つらいだろうけど心の準備をするようにと言った。
涙が止まらない。もうすぐ21歳、人間で言えば100歳相当だ。大往生なのだが、やはりカナダに来てからずっと一緒にいた存在を失うのは本当に怖い。
学校も終わり、失業中の私は時間だけはあるので、なるべく良い猫と一緒にいることにした。ちょうど夏の初めのころのように。あの頃は痴呆が進んでいたが、足腰もまだ大丈夫で自分で網戸を開けて外に行くことができたが、今は外へ行くドアを開けてもただぼんやりその方向を見ているだけである。
昨日の午後私は良い猫を抱っこして庭に出た。かつては常にパトロールをして余所者を決して近づけなかった彼のテリトリーであるこの庭とももうすぐお別れだ。私は庭の真ん中まで良い猫を抱いてくると、下にそっと下ろした。
良い猫は不思議そうに周りを見渡した。自分がどこにいるのかわからなかったらしい。しばらくすると体を左右にゆらしながらゆっくり歩き出した。
どこに行くんだろう?
良い猫が向かった先は、かつて大好きだった先輩猫キングのお墓だった。キングが死んでその場所に埋められてから、何日も座って鳴きながらキングを呼んでいたとウサオに教えられたその場所まで行くと、良い猫は黙って長い間座っていた。
良い猫は虹の橋に向かい始めたんだ。(_ _。)
良い猫はその後、ぼーっとしていたが、やがていつものように歩いて食事場所に歩き始めた途端にバランスを崩して倒れた。それを見たウサオが顔色を変えて良い猫に近づいた。
悪い猫の時と同じだ。
悪い猫も朝食まではいつもどおりだった。そして体のバランスが取れなくなり、やがて動けなくなり逝ってしまった。良い猫の様子は悪い猫の最後の日のようだった。それでもウサオが良い猫の体を起こすとなんとか立ち上がったが、体を支えられない。ウサオが良い猫の腰を支えてえさを食べさせようとしたが、できなかった。その様子を見てウサオは
明日かかりつけの獣医に連れて行って楽にしてあげよう。
そして今朝ウサオはなるべく早く戻るからと出かけて言った。ところがウサオが出かけてしばらくすると良い猫は普通に歩くようになった。多少ふらついているが自力で歩き、えさを食べ水を飲んだ。週末と同じくらいまで回復しているのだ。
もしかしたら今日連れて行かなくてもいいかも。。。
希望を持った私はずっと良い猫のマッサージをして傍にいた。ウサオも帰ってきて良い猫の様子を見て、びっくりしていたが今日は様子を見ようということになった。
良い猫は今私の傍で寝ている。昨日は今夜が良い猫の最後の夜だと思って泣き明かしたのにその生命力にはうれしい意味で驚くばかりだ。もちろん事態は決して楽観視できるものではないことはわかっているが、それでも少しでも長く良い猫といられることを祈るばかりだ。
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