農業とか酪農の苦しさで思い出すのは、戦前、戦時中に満州に送り込まれた開拓移民です。満州とアメリカ中西部ウイスコンシンミネソタ州は同じくらいの緯度(いど)にあります。いずれも夏は暑く、冬は誠に寒いところです。戦時中、私の家内の父は満州鉄道に務めておりました。
満州事変以降、太平洋戦争までの間、国策によって推進された集団での開拓移民計画がありました。30万人くらいの人びとが中国の奥地満州に送られます。北満や内蒙古の開拓に従事する集団で、満蒙開拓団(まんもうかいたくだん)とも呼ばれました。
開拓移民は国策でしたから、実際には各県や学校への割り当てによって人が集められました。信州や信濃がその中心だったようです。