1940年代、日本はナチスドイツと外交関係を結んでいました。ユダヤ人が敵視するドイツを相手にして通過ビザを出すことは困難でした。領事代理の杉原氏のビザ発行に対する要望には外務省は「ビザ発給拒否」と回答します。杉原氏はソ連領事館に出向き、日本通過ビザでソ連国内通過は可能かを打診し、問題なしとの回答を得ます。そして発給を決意します。
現在、外務省が保管する「杉原リスト」には 2,100名以上の名前があるといわれます。公式記録から大勢の人が抜けているとうことがわかり、杉原氏が実際にビザを発給したユダヤ人は6,000人ともいわれています。杉原氏が「日本のオスカー・シンドラー」といわれるの所以です。「シンドラーのリスト」という英語をご覧になったでしょうか。
シンドラーは、、彼自身の工場で雇用していたユダヤ人1,200余名をナチスの虐殺から救った人です。彼らは強制収容所に連れてこられたユダヤ人です。1994年、S.スピルバーグは、この実話をもとに「シンドラーのリスト」という題で映画化します。