バルト三国の一つ、エストニアの首都タリンを訪れたのは1995年です。なぜか世界史が好きな私にはバルト三国のことが忘れないのです。たかが、高校で少し学んだだけなのですが、、、この小さな3つの国は第二次世界大戦でほんろうされた歴史があります。ロシア帝国、プロイセン、ハプスブルク帝国、ポーランド、スエーデンがバルト三国を席巻(せっけん)します。バルト三国で最も大きいのがリトアニアです。
第二次世界大戦前に、ナチス・ドイツに迫害されていたポーランドのユダヤ人は、リトアニアがスイスと同じように中立国と考えられていたので、移住していました。ところがソ連がリトアニアを併合することが確実となります。1940年7月親ソ政権がリトアニアに誕生する見通しとなります。いずれはドイツとソ連の戦いが始まることが予想されるにつれ、ユダヤ人らはリトアニア国外に出る自由は奪われてしまうと考えます。ソ連に併合される前にリトアニアを脱出しようとしたのです。
その頃、リトアニアの日本領事館で領事代理をしていたのが杉原千畝氏です。