こんにちは、コーダイです。
夜になれば、少し冷えますが、それでも明日も夏日が訪れるという日本!11月まで結構暖かいものなんですねぇ。
さて、先日からの『アメリカなおばあちゃん』の続きです。
色々なルートを経て、ついにテリーこと、実は江戸っ子だったという、てるちゃんのお見舞いに行く事になりました。
私の祖母とほとんど同じ年齢。と、いう事は、結構体力にも限界があるだろうし、どんな思いで日本に帰ってきたのだろう??という気持ちが、興味にも繋がってきました。
さすがに、すこしボケがはいってきてしまった私の祖母は、テンションが急にあがったり、急に静かになって被害妄想になったり、ちょっと不安定な時はありますが、体は結構健康で、ひとりでゴハンも食べるし、トイレも行けるし、まだまだ元気だなぁ、という感じなので、どうしても比べてしまうのです。
90ともなり、身寄りも少なく、ハズバンド(だんなさん)も友達もどんどん亡くなってしまっていたら、ちょっと気持ちも滅入ってしまっているのかなぁ、と思っていましたが。。。それは、要らぬ心配だったようです。
個室でむくっと、起き上がったてるちゃんは、会うやいなや、嬉しそうに、感動の再会!そのテンションと言えば、どこかで見た事あるなぁ、、といった感じ。
確かに、人生の3分の2をアメリカ人のだんなさんと過ごし、アメリカ人化しているてるちゃん。
言葉のふしぶしに、Hum hu とか Yeahとか、もちろん、『オーマイゴーッド』などなど、もれてきます。笑 それでも、日本語はペラペラで、しっかりと目を合わせ、まっすぐに話す姿は90歳とは思えないほどのタフさ。
いわゆる、"特養"と呼ばれており、政府が運営している、特別養護老人ホームというものがあります。ここには、要介護と認定されたお年寄りしか入る事は出来ないのですが、逆三角形とも言われる日本の人口比率に対して、この"特養"は数が限られております。
私の生まれた文京区に、この"特養"は2つしかなく、常に順番待ちで、介護度が高い人が優先される事情があります。
介護度というのは、介護レベルの事ですね。一人で歩けなかったり、生きる為に誰かの力が必要であればこの介護度も高くなります。
身体的に健康であれば、少しのボケでは、あまり介護度がつかない為、介護度2の私の祖母は優先度が低く、なかなか"特養"には入れないのです。少しのボケといっても、一緒に住み姑(しゅうとめ)のお世話をしていた母にとっては、ちっとも楽な事ではありません。
都市部でなければ、もう少し余裕があるのかもしれませんが、やはり家族の近くのほうが何かと世話も出来るので、そう簡単でもありません。
そんな実情を見ていて、介護環境というものが、気になっておりました。
こんな狭くて、窮屈な日本より、アメリカのほうが介護環境はいいんじゃないのかな?と密かに思っていた自分もいました。
確かに、窮屈さについては、てるちゃんは、『こんなとこ監獄みたい!!』とナイス辛口発言だけど、それと同じくらいナイススマイルで、ズバズバものを言うし、アメリカと比べたら狭くてしょうがないけど、、といいながら、久々の日本の生活を楽しんでいる姿が伝わってきました。
アメリカに長く住んでいるお年寄りと日本にずっといるお年寄りの違いというのは、こういったハッキリ物事を言う性質、というのも感じましたね。
人にもよるでしょうけれども、やっぱり日本は控えめで遠慮して、遠まわしに物事言ったり。本当は嫌なのに、我慢している。なんて、後から言われると、コミュニケーションを取って、理解するのも一苦労です。。自分の家族でもそうなのだから、本当に介護士さんは尊敬します。
もっとも、てるちゃんの一番の特徴は、『脳みそがハッキリしている!』という事でしょうか。
少し耳は遠くなっていたものの、喋るスピードもものすごく早くて、頭の回転もすごいスピード。あんなに話が出来る90歳のおばあちゃん、私は初めて会いました。
ついつい、何でも通じるような気がして、話してしまいますが、さすがに最新の若者用語はまだ勉強中らしくて、『私、新しい言葉覚えたのよ、イケメンっていうんでしょーー!』なんて言ったり、『あと、マジって何?あれ、どういう意味なの??』なんて、質問、かわいくて仕方ありませんね。笑
そんな話を聞いていると、そもそもアメリカの介護制度の話とか、“住みやすい、住みにくい”の話はとうに通り越して、楽しそうなてるちゃんを見ていたら、日本に帰ってきた理由もなんとなく、理解できる気もしてきました。
子供もいなく、生涯看護師さんとして、アメリカで活躍していたてるちゃんは、ずーっと現役バリバリで仕事をしていて、脳みそもたっぷりと使っていたようです。
きっと、戦後のアメリカで、日本人として生活していた、てるちゃんは人種差別など大変な思いをしたのだろうけれども、その分アメリカで生きてきた力強さを感じました。
アメリカに友達はいるけれど、妹がまだ日本で生きているし、甥っ子や姪っ子もいる。ほとんどの友達は亡くなってしまっているようでしたが、78年来の友達である私の祖母もいるわけです。
最後に会いたい人がたくさんいて、新しい事をたくさんしたい。というその欲求と行動力は本当に90歳とは思えません。ほら、話をしていたら、そういえば90歳なんだてるちゃんは。と、今思い返しましたよね?笑
むしろ、ずーっとアメリカに住んでいたら、飽きてしまったのかもしれません。昔と比べて、こんなにも変わっている日本を。東京を見るのはとても新鮮で楽しいことだという事がひしひしと伝わってきました。
世の中、本当に色々な人生があります。てるちゃんは、激動の中にアメリカへ渡った、まさに留学の先人であり、海外で日本人の評判を作り上げてきた大先輩というワケですね!
足を怪我して歩けなかったてるちゃん。移動するのがだいぶおっくうになってきた私の祖母。
お互いがどんな状況であれ、その再会の為に、てるちゃんは足のリハビリをして、ずいぶんと歩けるようになってきているそうです。90歳になって、これから回復しているなんて。。さすが。。ですよね。
髪の毛も金髪にしているから、白髪より若々しく見えるし、眉毛もタトゥーなので、お手入れいらず(笑) 年を取ると、眉毛があっちいったり、こっちいったりするから(笑)タトゥーが便利だそうですよ。
今の日本があるのは、こうした先輩がたのおかげです。私達、新しい世代であり、裕福になった日本人は、必死で生活するという事を忘れてしまっています。
世界では、“比較的英語が出来ない。”と言われ続けている日本人。
残念ながら、『日本人は、リッチになりすぎて、ハングリー精神が足りない。』
『日本の生活が大変だから、息抜き(遊び)に留学しにきている』なんていう評判も飛び交うようになってきているのも留学の側面です。
それでは、同じアジア人である中国や韓国、フィリピンやインドやベトナム、様々な国籍が集まる多国籍な国で、履歴書を出し、英語で面接を受けても、競り負けてしまうでしょう。
いつのまにか、てるちゃん達先輩が築き上げてきた日本人の評判が消えてなくなってしまわない為にも。『昔はすごかったのにね』なんて、言われないようにする為にも、多くの人に海外に羽ばたき、色々な刺激を受けて頂ければと感じ、私ももっと良いプログラムやサポートを提供させて頂くために努力して参ります。
■これって本当に留学に携わる醍醐味でもあり、海外と触れる楽しい部分です!少しでも興味を持ったそのときが吉日。いつでもお気軽にご相談下さいね!
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