逆移住編:マレーシアから日本へ。快傑ハリマオの発見・再発見、驚き桃の木どうする気。
②徳川家康について日本で発見・再発見「日光東照宮」での遺訓に感動。
徳川家康の「名言」には驚く。彼の人生を紐解けば、色々見えて
きそうだ。山岳信仰の盛んな地域だった「日光」という土地に
・・何故、家康は自分の墓を指定したのだろうか。
皆に知られているこの土地ですがこの世界文化遺産、色々、見聞だ
あまりに大きく高い日光杉の立ち並ぶ、ひんやりした空気の中を、
石段を登りながら、野武士、修行する山伏を想像してしまいました。
日光「男体山」とか「女峰山」両方からエネルギーをもらえそうだ。
沢山の小学生の見学がある中、色々回ったけど、「薬師堂の鳴き龍」
ここは拝観料を払ったのに、何故か行かずに出口を出てしまったのは
残念だった・・苦笑。
家康は、久能山に葬られたという説もあるようですが、本当に家康
の骨がどこにあるかは、実際掘り起こさないと分からないらしい。
徳川家康は、遺命で久能山に葬られました。2代将軍秀忠が建てた
のが久能山東照宮で、その後、秀忠の死後、三代将軍家光が絢爛
豪華な姿に改築した「日光東照宮」に変化(へんげ)させたわけです
・・徳川家康の遺訓や遺物、刀やいろんな資料のある入口左側の
「宝物館(有料)」を見ると、彼の理念や理想が感じられました。
忍耐強く苦労をした人生、57歳で「関ヶ原の戦い」に勝って天下を
取ったんだね。
「倹約家」としても、「健康オタク」としても、有名な家康デス。
当時の平均寿命が40歳だったのに、この時代に徳川家康は75歳まで
生きたというのは、やはり日頃の生活習慣病を気にした健康人生
だったのかな。
出典元::以下は「刀剣ワールド」さんからの情報
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徳川家康は贅沢を嫌い、質素倹約を心掛けた生活をしていたという逸話が多数残されています。倹約家であったことを示す有名な逸話は、以下のようなものが存在。
着物はほとんど新調せず、ぼろぼろになるまで着ていた。 洗濯の回数を減らすため、汚れが目立たない「浅黄色」のふんどしを好んで着けていた。 女中の食費が嵩むのが気になり、お代わりをさせないように漬物の味をものすごく塩辛くした。 手洗いのための懐紙が風で飛ばされた際、新しい懐紙を出さず、飛ばされた懐紙を取りに行き家臣に笑われるが、これに対し徳川家康は、「わしはこれで天下を取ったのだ」と言った。
以下は、宝物館で、実際の徳川家康の達筆は見れますが、館内は
撮影禁止なので、写せず、帰宅後、家でのPCからの検索情報です。
出典元:同じく「刀剣ワールド」さんからの情報
「東照宮御遺訓」
「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし こころに望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基 いかりは敵とおもへ
勝事ばかりを知てまくる事をしらざれば害其身にいたる
おのれを責て人をせむるな 及ばざるは過ぎたるよりまされり」
<現代語訳>
「人生とは、重い荷物を背負って長い道を歩いていくようなものだ。急ぐ必要はない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。心に欲が生じたときは、苦しかったときを思い出しなさい。
我慢をすることが無事に長く、安らかでいられる源で、怒りを敵と思いなさい。
成功のみを知り、失敗を経験したことがない者に、害は降りかかるでしょう。
自分の行動を反省し、人の責任を責めてはいけません。足りない方が、やりすぎてしまったものよりは優れている。」
・・・江戸時代も、このような美しい紅葉だったのでしょう・・・
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