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小学1年生の帰国子女

 
 
 
 
 
ここで アメリカから帰国した後、 
この1年の 日本での息子の様子について お話しておこうと思います。
 
 
 
 
息子は 3年間アメリカで暮らし 
最後の1年は 現地校のキンダーガーデンに通いました。 
いきなり 日本から転校してきたのではなく しばらくアメリカで生活していましたし 英語の勉強もしていたので 現地校に入ったとたん ものすごいスピードで 英語を体得しました。 そして あっという間に クラスのリーダー的な存在として 君臨するまでになったのです。
 
 
 
日常会話は 100%英語。
 
 
 
家族で日本語で話していても 息子だけは 英語で返すというぐらい 
24時間 英語づけの頭になっていました。
 
 
 
 
 
 
また 早生まれの息子は アメリカでは クラスで一番年上でした。
日本と違い 息子の通っていた学校では 1月~12月で学年を区切るので
早生まれの子の方が ‘有利‘なのです。(小さいうちだけですが) 
ですので 息子は クラスの ほかの子たちと比べても 体が大きく 
手先は器用 絵は上手。 英語の読み書きも 入学前から勉強していたのでネイティブよりでき、運動も万能でした。
(今となっては 信じられませんが。笑)
 
 
 
 
なんたって 
クラスで一番小さい子は 4歳で まだ鼻水を垂らしているのです。
それに比べ 息子は 学年開始早々 6歳になり ボス風をふかしまくり。
みんなを従え ジョークを飛ばしたり 言葉で足りないところはジェスチャーで補い みんなを笑わせることで クラスの人気者となっていったのです。 あの頃の息子は 毎日 学校が楽しくて仕方なく 放課後も いろんな子にplaydateに誘われ 引っ張りだこ。 
たくさんの仲間と 毎日 遊びまくっていました。
 
 
 
 
そんな人生の絶頂期に 日本に帰国することになった息子。
 
 
 
 
アメリカとは打って変わり 日本の学校では 体は小さい方で 
むこうで車に乗ってばかりの生活の結果 足は 遅っーーーー! 
水泳は 習っていたにも関わらず おぼれる寸前。
 
 
 
転入早々、理科の授業で ’あさがおの観察記録’を書きましょうと言われたのですが ゴミみたいな絵しか描けません。
アメリカでは 空想の世界や 自分の頭の中にあることを 絵にしたことはあっても 本物を前に それをそっくりに描く 日本独特の「観察日記」は やったことがなかったのです。 
最初 付き添いで 一緒に学校に行っていた私も これには びっくり。 
小学校1年生で みんなの描く「あさがお」の上手なこと!
(アメリカ人の子供たちの絵は こんなのです)
 
 
 
 
あまりの自分のふがいなさに 息子は 机につっぷして 泣き出しました。
 
 
 
I can’t do this.
There’s no way I can draw things like that.
I don’t like it. I can’t. I just can’t! 
 
 
 
たまたま 廊下を通りかかった教頭先生が あわてて息子に駆け寄り
日付だけでもいいから書きなさい、という意味で
「セブン・・・セブン・・・」と 言ってくださるのですが
それだけで 息子に通じるわけがなく・・・
 
 
 
担任の先生を含め まわりは シーンとしてしまい 
どうしたものかと わたしも硬直していた その時です。
 
 
 
斜め前に座っていた男の子が 隣の子に 一言。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「何言っているか 全然 わかんないね」。
 
 
 
 
 
息子、渾身の叫び、誰にも通じず。
 
 
 
 
その後 だんだん 日本語で話すようになったものの
公園で「TAG しない?」と友達を誘えば 「何 それ?」
 
 
 
うちに遊びに来た子に 「SNACK いる?」と聞き 「何のこと?」
 
 
 
カードゲームをしていて 「レベル ONE ね!」と読み
「 わはは~。 ワンだって。 いち、なのにさぁ~」と笑われていた。
 
 
 
挙句の果てに 
「○○くん(息子)ってさぁ~ 
 なんで いつも アメリカ語ばかりなのぉ~?」と ウザがられ、
典型的な ‘日本人に嫌がられる帰国子女’のパターンに。
 
 
 
 
帰国子女というと みんな 「英語を忘れないようにしないと!」とか
「英語ができていいね」なんていいますが それを保つのは 日本では 
たいへんなのです。
 
 
 
我々も こんな状況の中 英語の保持というよりも 
息子が のびのびと英語で話せる環境を 用意してやりたくて 
英語教室を探しましたが なかなか小学校低学年で 
ネイティブレベルの英語が話せる子向けの教室はなく 
小学1年生で バイリンガルにするのは 本人の 負担になるだけだと思い
あきらめました。 やはり この年齢は どちらか一つの言語でいっぱい、いっぱいですし 息子が 日本のお友達を作りたい 学校の授業についていけるようになりたい、と焦る気持ちは 痛いほど よくわかりましたから。
 
 
 
 
息子は しばらく日本語・英語ちゃんぽんの言葉でしゃべっていましたが、
半年もすれば 彼の中から すべての英単語が 消え失せました。
 
 
 
そして 9か月後には 英語を聞いても 
ご丁寧に カタカナ英語で 発音するぐらいになっていました。
話しかけられれば 少しは 意味が分かっているはずなのに 
まさに “空耳アワー”。
英語を わからないフリして さらに カタカナ発音にするのは 
多分 周りの子供たちの反応を恐れていたのでしょう。
 
 
 
 
 
「ボク アメリカに住んでいない 普通の日本人になりたいんだよね」
 
 
 
 
 
 
学校で 英語の授業がたまにあるのですが
日本人の先生で 息子の方が発音が良いため 先生の代わりにテキストの内容を読まされるのも すごく嫌だったようです。
 
 
 
 
とにかく 目立ちたくない。
みんなと同じになりたい。
 
 
 
 
アメリカの現地校でも そうやってがんばって 英語を体得したのですが、
日本に帰って来ると やはり 日本のお友達に合わせたくなるようです。
英語が話せることが 将来 自分にとって スキルになると説明しても
小学1年生では とても理解できない。 それよりも 目先のお友達との関係の方が 大切なわけで・・・。
 
 
 
 
まだ 日本語を学んでいるような段階で バイリンガルはやはり無理。
 
 
 
 
海外へ行けば 非常にスムーズに 現地語を習得できる年齢ですが
一つの言語を習得すれば 他方は消えてしまうのが この年齢の特徴でもあります。
 
 
 
無理をすれば もともとの思考回路まで混乱してしまうという研究結果もあり 幼少期は まず どんな言語でもいいので 母国語の確立が重要というのが 最近の バイリンガル教育の流れです。
 
 
 
そんなわけで 息子は  日本語の絵本をたくさん読み テレビをみたり お友達と遊んで 自分の言いたい事が スムーズに他人に伝えられるようにこの1年、日本語の勉強をがんばってきました。
 
 
 
 
ところが 再びNYに行くことになり 息子の心中は 複雑です。
もう英語は嫌だという想いと、
それでも 昔の友達に会いたいという気持ち。
かつての友人たちに連絡をとると みんな 息子のことを覚えていて 
再会を楽しみにしてくれています。
 
 
 
しかし 1年たった今 
さすがに 息子からは 一言も英語がでてきません。
ところが 友達の頭の中では クラスのリーダーとして 
自分たちと同じように 英語を話していた彼の記憶しかないわけです。
相手もさぞかしびっくりするだろうと思い、
英語は もう あまり話せないの・・・・とあらかじめ言っておいたのですが 「信じられない」と みんな口をそろえます。
 
 
 
 
アメリカに戻ったことで 息子にも 少しは英語が戻ってくるだろうと
思っていたのですが 空港では 息子はまだ 日本人のままでした。
 
 
 
 
さて 息子の再会劇は どうなることやら・・・・
 
 
 
 
 
次回に続く。
 
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