最近またまた近代史の本をよんでいるのですが、日本という国のすばらしさというものを再発見します。
時は江戸時代、徳川政権の約300年は各藩の武力が強くならないように、制度が整えられたとともに、文治政治、つまり、腕っぷしではなく、知力によって出世するような世の中に大きく変わりました。下級武士でも勉強すれば勘定奉行等になれたらしいです。
民間でも読み書きそろばんが普及していたし、なんと明治開国の時の日本の識字率はイギリスとほぼ同等で世界でもトップレベルだったそうです。それほどに教育が行き届いており、民度がたかかったと。
なので、一旦開国となったら、すばやく海外の先進的な諸制度を学習し、分析し、そしてどうすればそれを日本で実践できるのかという実務論をものすごく短期間で集中的にやった、その結果、驚異的に短い期間で議会政治を生み出し、そして伊藤さんが主導的な立場で憲法までつくっちゃった。そしてその憲法には現在の憲法の骨子となっている主権在民や参政権等の多くが既に含まれていました。
学校では、近代史というのは日本史の勉強の最後になっていて、どうも尻切れな感じになってしまうのですが、いろいろと史実を見ると、日本人のいかにすごかったかというのがよくわかります。
板垣さんのように、私信を捨てて、民主主義普及のために、身をなげうって自由民権運動をやった人も出現。あれは大きかった。
そしていわゆる全世界が帝国主義、つまり弱肉強食という環境で、植民地にもならずに国土を守りきったのは、政府の要職にある人達が猛烈に勉強してた、そして、一歩間違ったら国や生命を失うというギリギリのところでしっかりした政策判断をしていた。
列強がこぞってアジアをとりに来てたわけですから、情勢を読み間違えると一瞬にして国土の一部を失うという状況にあって、よくしのいだもんだと。
そして大正時代の中盤からはまさに政党政治が機能していたわけで、戦後の教育やメディアがいうような、戦争で敗戦して初めて夜明けがきたみたいなこととは全くことなる、実に日本の近代史というのは世界でもまれにみる独自の近代化だったんだなーということを痛感します。
その証拠に、敗戦処理にあたったアメリカやイギリスの中枢は、「戦前にあった民主主義を復活させればいいのだ」と指摘していることをみても、実に我々のご先祖様のなしたことというのは大きなことだったんだなと。
無論、時点、時点で、いくつかの判断の誤りというのはあったのは間違いないですが、それにしても全体論としてはそういう評価だと感じるし、むしろ戦後のほうが教育の問題もあり、人物が育たなかったという気がするのはわたしだけでしょうか。
政治の世界もビジネスの世界も戦前教育を受けてきた人たちにくらべたら、どうも戦後は小粒になっているような気がしてなりません。
おわり。
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