2017年のパナマの祝日リストが夫からきたので、メモしながら調べてみた。
<2017年パナマ祝日&お祭り一覧>
赤字が休日、白文字はただのお祭り/記念日 by 夫
このリストとぴったり合うのがどこもなくて、翻訳するだけでもあちこち調べました。パナマって、本当に日本のネットでは情報がないのねぇ。涙
5月2日〜11月2日まで、1日も祝日がないのが驚異的。アンラッキーすぎる。日本みたいにテキトウな理由で祝日作っちゃえばいいのにね。苦笑
パナマの祝日は、2種類。カトリックの祝日とパナマ歴史的な記念日。
カトリックの祝日まわりは英語含めて馴染みがあるけど、パナマの歴史があんまりよく分かってなかったので、休日にするほどの記念日くらいは覚えようと、ついでに調べてみた。
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その昔、パナマは先住民族が住んでいました。
パナマ上陸コロンブスが大陸を発見してからは、
1501年:ヨーロッパ人が初めて上陸、スペインの植民地として勝手に占領 (コロンブス開拓時代あるある)
コロンブス、土地と奴隷の売り込みですっごい儲かっただろうね。
1519年8月15日:スペイン人がパナマシティ設立。財宝の集積地&貿易港として栄えるも、海賊との戦いにも荒れることになります。
最初に建設されたパナマ市の建物、パナマ・ビエホは、今は世界遺産になっています
その後、ヨーロッパ側では、ナポレオンがスペインを侵略。1800年に入ると、ヨーロッパのフランス革命を期にスペイン本国ではスペイン独立戦争が勃発、影響してラテンアメリカでも独立運動が勃発、
1821年11月10日: パナマでも独立運動が勃発します。
1821年11月28日: パナマはスペインから独立して、他のラテンアメリカの国と一緒に大コロンビア共和国(Gran Colombia)を設立。
数日で独立って、すごいよね。苦笑
でも、このGran Columbiaはうまく稼働せず、
1830年:Gran Colombiaが崩壊/分裂し、パナマはコロンビア共和国の一部になりました。
ここからはアメリカが影響し始めます。
1848年にゴールドラッシュが始まり、アメリカ西海岸へ金の発掘に人々が殺到。
サンフランシスコ高速船の広告
アメリカ大陸を東から西に行くルートよりも、パナマを経由して行くルートが便利なことから、
1846年: パナマ地峡の通行券をアメリカがGET
1855年: パナマ地峡を横断する鉄道をアメリカが完成
その間に、
1882年: フランス人のレセップスさんがコロンビアからパナマ運河の建設権を買取り、パナマ運河建設を試みるも失敗、会社倒産。この時、中国人、アフリカ人、イタリア人などの労働移民が発生。1894年に会社を再構築。
(↑これ、意外に大事なイベント。今のパナマに中国人やイタリア人がいるkey eventでもある)
1898年にアメリカはスペインと米西戦争をして、その時に、太平洋と大西洋を軍艦が移動するためには運河が必要だ!とパナマを注目し始めます。
スペインの風刺画。キューバを占領したいアメリカ像
アメリカは、レセップさんが作ったフランス政府経営のパナマ運河会社から建設と運営を買い取ってしまおう!と議会採決し、コロンビアとヘイ・ヘラン条約(Hay–Herrán Treaty)も署名したものの、実はコロンビア側の内部調整ができてなくて、実際の交渉になったらコロンビア側と交渉決裂。パナマ運河GETに失敗します。
まぁ、コロンビア側からしたら、知らないうちに誰かが不利な条件で他国と署名しちゃうんだから、嫌だよねぇ。。
でも、めっちゃパナマ運河が欲しかったルーズベルト大統領はプランBに移ります。ここからが恐ろしい。
パナマ運河のフランス人リーダーと、パナマ独立運動のリーダーとニューヨークで会談し、独立運動を支援することで、パナマ運河GETしようと動いたのです!コロンビアがダメなら、コロンビアを倒すって.......強引。唖然。
その後はトントン拍子、
1903年11月3日: パナマはアメリカ軍の支援で独立宣言
1903年11月4日: パナマ国旗のデザイン確定
1903年11月5日: コロン市でコロンビア軍との説得完了
1914年: パナマ運河完成 by アメリカ
1913年の建設風景
でも、その後も続くアメリカの介入から、パナマ国内では対米反発・反米意識の悪化。新条約締結で安定化も、パナマ指導者のホリトス氏が事故死、ノリエガ氏の軍事政権による独裁化が悪化も麻薬取引で失脚、その後の大統領が選挙選出されるも政府が裁判を起こし、無効化、国内ぐっしゃぐゃ。
そこに、おいどうした、
1989年12月20日午前0時45分、パパブッシュ大統領が、パナマ在住アメリカ人の保護・パナマ運河条約の保全、ノリエガの拘束を主目的とするアメリカが「正当な理由作戦(Operation Just Cause)」として、自衛権として軍事侵攻。
個人的には、太平洋と大西洋を繋ぐアメリカ軍駐屯地としても使えていたパナマ運河、アメリカ側は意地でも手放したくなかったんだろうな思うし、散々パナマと揉めても返却せずに、パナマ国内の混乱を好都合に、全面侵攻したんだと思う。あぁ、アメリカって恐ろしい。
パナマ運河通過できるように設計された軍艦
まぁ、そんなこんなでも、その後はアメリカ軍管理下で、パナマは軍を解体し、民主主義体制の建てつけと、国際社会への復帰、経済の回復に務め、
1999年12月31日正午に、パナマ運河と運河流域がアメリカからパナマに返還。
現在はパナマ共和国として頑張っています。
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ふぅ、書けた。満足。笑
ヨーロッパのフランス革命や、アメリカのゴールドラッシュ、軍事拠点の確立、あちこちの外国の思惑によって振り回され、自分たちとしても頑張って成長してきたパナマの歴史は、興味深いです。いい歴史の復習にもなったよ。笑
2016年にはパナマ運河も拡張され、ついこの先日に中国との関係を強くするために台湾と断交しちゃって、街はあちこち工事中&建設ラッシュで、パナマ共和国は今後もグイグイ経済成長していきそうです。
ほんと現代社会は5年〜10年で想定外の成長が起きるので、中国みたいな急成長・急変化が起きたら面白いのになぁ思いながら、どのような発展をするのか、この目で見てみたいと思います。
<参考になった主な参考資料>
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