山元町役場
5日(火)松本復興相が辞任した。昨日から流され続けている岩手や宮城県知事との会談の様子。全く呆れて言葉もない。自分は相当偉いと勘違いしている。今の日本の大半の政治家の意識なんてあんなものだろう。お粗末極まりない。日本の恥と言うべきだ。
宮城県知事だって、会見後に「国と地方は上下関係ではない」と言っていたが、なぜその場で食ってかからないのか。気骨も何もない。中央集権主義の制度と意識は中央のみならず、地方にも浸透している。地方議員も威張っている輩が多い。人間性の問題もある。
ボランテイアについてだが、確かに日本人は構える人が多いようだ。私も初めてタイの孤児院でやった時は気負っていたようだ。同じ孤児院でご一緒したオーストラリア出身のご婦人を見て目を覚まされた。彼女たちは「時間があるからやるのよ」といった感じ。
自衛隊がいまだに常駐
アメリカからきた女学生も気軽に来て、いつの間にかいなくなった。彼らにはキリスト教社会のネットワーク(YMCA)があり、何処でもそれに応える体制があるのだ。何年前かサンフランシスコ大地震の際、大勢のボランテイアが駆けつけて世界をうならせた。
当時の日本人の反応は「個人主義の国民がなぜあのように集まれるのか」というものだった。ボランテイア(Volunteer)の語源は中世騎士団や十字軍に遡るらしいが、私のイメージは1936年スペインの独裁政権に対する人民戦線に世界中から駆けつけた義勇軍だ。
つまり、個人の意思で対価を求めない行動を意味するわけで、個人主義の欧米ではむしろ自然なのだと思う。逆に日本人は個人が確立しておらず集団でしか行動できない人が多いために、ボランテイアを目立ちたがりとか恩の押し売りととらえるのではないか。
住宅の間に突っ込んだ軽自動車
逆に国家が学校教育に「勤労奉仕」をとり入れようとしても、疑問に感ぜずに「いいことではないか、むしろ必要だ」というような意見が出てくるのだ。いかなる側面でも強制が伴えば、それはボランテイアとは言わない。個人の意識を高めることこそ必要だ。
日本の政府が長い間NPOやNGOを敵視し、活動を妨害さえした歴史はそれを物語るし、日本の企業も最近でさえ環境や人権などに目を向けるようになってきてはいるが、欧米に比べればお粗末なのが現状である。欧米では消費者が企業の社会貢献度を高く評価する。
日本でも阪神淡路、中越沖、東日本大震災等いくつかの震災を経験をしながら、ボランテイアへの意識や企業、行政、大学、地域社会等の意識も変わりつつあると感じられるのは嬉しい。私は胸を張って参加したし、参加者のほとんどは意識を高めたと思う。
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