ジュネーブ − プロテスタントにとってのバチカン
ジュネーブの旧市街にそびえたつ尖塔サン・ピエール寺院
(写真は借りものです)


尖った塔はプロテスタント教会のしるし。
さてさて、ジュネーブ・サンピエール:バチカン・サンピエトロ説ですが、私が言い出したわけではないんです。
旧市街に事務所があった時、このサンピエール寺院から旧市街は、愛犬クチュ

ある日、この寺院に大勢の牧師とシスター。
特に聖堂の前の広場には数百人の牧師、シスターの団体。
この広場をグレーの牧師、シスターが埋めてたんですから。
それも全員日本人。

そのシスターたちに教わりました。
「ジュネーブは私たちにとってのバチカンです。だからこうして年に一度お参りにくるんですよ〜」と実際には語尾を伸ばさずに教えてくれたのです。
その際にジューンジェネボアの話も窺いました。
時は1579年。上杉謙信が亡くなり、いよいよ織田信長の天下取りが決まったその頃、8月24日カソリックによるプロテスタント数千人が殺されたサン・ベルテルミ(英語では聖バーソロミュー)の虐殺が起こった。
時のカソリック教皇グレゴリオは、9月11日をローマキリスト教の戦勝記念日と定めた。
この虐殺を嘆き悲しむ当時の改革派カルバンは、断食祭を行って殉教者への哀悼を示した。
それがジューン・ジェネボア。
この日はジュネーブだけが休みで、隣の州やフランスは平日営業。
今日水曜日は既に人影が見えず、我が家の周りのシャッターも閉まってます。
そこで、我が老夫婦を慰めに、YuriちゃんとMarinaちゃんが遊びに来てくれます。
来週からは更に二人下宿人が増える予定で、毎日宴会かなあ・・・
そして、そして、きっと美女会パキ支部、あるいはフネ支部からも誰か来るんじゃないかなあ〜!