28日(金)晴れ。屋内テニスにお誘いがあり、久しぶりに汗を流した。最高に気持ち良かった。スポーツセンターは水泳、卓球、バド、バスケ、トレーニングルームどこも満員だ。中高年が中心だが、みんな健康に気を使っているのだろう。いいことだ。
私はAmy Churさんの考え方に二つの点で反対だ。第一点は人間の能力を決定的にスキルに頼ること。このことについては日本にも戦後アメリカ流の問題解決学習かスキルを重視する系統学習かという論争があった。私は前者の行きすぎを批判しスキル派だった。
例えば、漢字、英単語、年号やピアノなど基礎的知識やピアノやスポーツの技術などスキルによって定着を図られることは誰でも知っているし、異論はなかろうと思う。ただ、それは同時に戦前の詰め込み主義と重なって問題解決学習派から批判を浴びた。
一方で問題解決学習も基礎知識を軽視し、故・数学者の遠山啓が批判したように、計算は学力ではないという誤解を生んだ。Chuaさんはスキルの徹底した信奉者のようだが、個人の意思や潜在的な能力を無視したかのような考え方には疑問を感じる。
第二点はスパルタ教育に対する考え方である。自分の娘で本人も納得しての共同作業であればいいが、これを国家レベルで強制されてはたまらない。スパルタ教育とは周知のように古代ギリシャのスパルタで行われた強い兵士養成のための軍隊教育をさす言葉だった。
実は案外知られていないのは、このスパルタ教育は中世までのヨーロッパでは主流だったということだ。それが批判的にとらえられるようになったのはフランス革命以後のことだろう。ルソーの「エミール」はまさに国家の教育への批判、個性尊重の発露だった。
前に紹介したが幕末に日本を訪れた西洋人が驚いたのは江戸の子どもたちの自由奔放さと親や寺子屋の自由教育だった。子どもから大人までの知識の豊富さや本屋の多さも称賛している。考え方の差もあろうが、日本の親や学校の厳しさは今の比ではなかった。
Chuaさんは儒教を持ちだして西洋人と中国人の違いを説明しようとしているが、私が出会った本土の中国人と海外の中国人には当てはまらない感じがする。確かに海外にいる中国人の方がChuaさんに近い考え方をする人はいたが、最終的には人によると思う。
いずれにせよ、日本の親の甘さは何だろうと思う。競争を煽り、有名校、有名企業を目指させる点においては日本の親もChua さんに負けてはいまいが、大学入試や就職試験に付き添ったり、海外へも心配で送りだせないような甘さは本当の厳しさとは無縁だ。
海外赴任時に必要な予防接種や健康診断が可能な全国のクリニックを紹介しております。