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阪神大震災を振り返る(2)
ママチャリで わたしが 会社に駆け付けたのは 午前6時すぎだった。
オフィスには 泊まり当番だった先輩と
徹夜で番組の編集作業をしていた同僚の二人が いた。
さて、これから どうしたものかと思っていたら
上司の一人が ふらりと登場した。
やはり 徹夜作業のため 近くのホテルで仮眠していたので
すぐに会社に 来ることができたという。
その上司を中心に これから どうするか 話し合った。
間もなく 震源は 淡路島という気象庁の発表があり
淡路島に行くように言われて フェリーの時刻表を調べていたその時、
神戸局の映像が 入ってきた。
大阪とは 比べ物にならないほどの ものすごい揺れ。
ガシャガシャという音とともに 部屋の中のものが すべて揺さぶられ
振り落とされ 空中を 飛んでいた。
神戸が 大変だ。
わたしと 徹夜明けの先輩がタクシーに乗り
とりあえず 神戸方面に 向かうことになった。
途中 西宮付近で 高速道路が 崩壊しているので
そこに向かえ、という連絡を 受ける。
旧式だったが 携帯電話が 会社の備品として
何台か 支給されていた時代だった。
阪神間に入るにつれ 風景が一変した。
西宮の現場では 高速道路が つなぎ目で崩れ落ち、
滑り台のようになっていた。
そして そこに 車が一台 宙ぶらりんになっていた。
ドライバーは無事だったので 話を聞くが
本人も一瞬のことで 訳が 分からなかったという。
とりあえず そこで ニュース用の中継を 何度か出した。
しばらくすると また 連絡が入り
西宮よりもっと西、 神戸方面では 高速道路が横倒しになって
もっと 大変なことに なっているという。
そちらに向かってくれ、と言うので 中継車とスタッフを連れて
また 車で 移動した。
国道43号線の沿道の風景は すさまじかった。
家という家が 平らに押しつぶされ 妙に見晴らしがよかった。
進めば進むほど 悲惨さを増す景色は どう捉えていいかわからない。
これは 現実なのか。
見たこともない 異様な光景だった。
家が地震で ベニア板のように ぺったんこになるというその現実が
とにかく不思議だった。
あまりの事に あの屋根の下に 多くの人の死体が埋まっていたり
まだ 生きている人が 助けを求めていたかもしれないとは
正直 考えもつかなかった。
しばらく行くと 高速道路の倒壊現場に到着した。
高架になった高速道路が 数百メートルにわたって 横倒しになっている。
これは 映像的にも 大変なインパクトだった。
他にも たくさんの中継現場から 被災地のようすが伝えられたが
この映像は 地震の激しさを象徴するものとして
その日 何度も ニュースに取り上げられた。
その現場のカメラのすぐ下にいたのが 私である。
中継が入るたびに アナウンサーに合図を出し
現場周辺の様子を取材し 本部と連絡を取り合う。
途中 おなかがすいたので スタッフの昼食を買いに
近くのコンビニに 行った。
店内には 電気は通っておらず レジは機能していなかったが
誰もが 整然と行列を作り
ちゃんとお金を払って 品物を購入していたのが 印象的だった。
おにぎりや 弁当のたぐいは とっくに売り切れていた。
仕方がないので ポテトチップスやお菓子を買って 現場に戻った。
誰も この惨状がいつまで続くか わかっていなかった。
午前6時過ぎに 大阪の局を出てから
どのくらい 時間が たっていただろう。
数えきれないぐらいの中継を出し そろそろ夜も更けてきた。
明りのない街というのは 本当に寒い。
中継の合間は 車の中で エンジンをかけて 暖を取ったが
外の寒さは 尋常じゃなかった。
朝から ポテトチップス数枚以外 飲まず食わず。
男性陣は トイレは そこらへんで 済ませていたが
女性は そうはいかない。
近所の方が好意で トイレを貸してくださった。
ちょうど 家の前の道路で 水道管が破裂していて
そこの水を汲みとれば 流すのは問題ないということで
ご厚意に 甘えさせていただいた。
しかし トイレに入っても 地震の衝撃で 家全体がゆがんでしまい
扉は とうてい閉まらなかったが。
暗闇と寒さと空腹の中 時間もよくわからないまま
再び 無数に 中継を出し続け 合間に 車の中で 仮眠をとった。
そうこうしているうちに また ご近所の方がいらして
今度は おにぎりを差し入れてくださった。
ずっと家でラジオを聞いています。ご苦労様です。
ちょうど 昨晩 炊いたご飯が たくさん炊飯器に 残っていたので
おにぎりを 作りました。
どうぞ 召し上がってください。
感激した。
おいしかった。
いつ復旧するともわからない 災害の中で 我々のような他人に
大事な食べ物を 差し出してくださった方の やさしさに 胸を打たれた。
日が落ちると 寒さは一層厳しくなり
一点の明りもない 暗闇に包まれた街は 不気味だった。
一体 何が起き これから どうなるのか、
誰にも わからなかった。
あの日 あの時 どこで 何をしていたのかと言う話は
いまでも 神戸出身者の間で 時々 話題になる。
寝ていたけど 跳び起きた人、 ちょうど電車に乗っていた人、
トイレに入っていて そのまま押しつぶされた人、
日課の 早朝山登りに出かけていて 地震に気付かず
下山したら 自宅がなくなっていて びっくりした人、
大けがをした人、
家具の下敷きになった人、
倒壊した家の 柱の隙間で 助かった人、、、
ちょうど 中継現場の近くに
親族の中で 一番古い木造住宅に住んでいる人がいたので
ニュースの合間に 走って様子を見に行った。
築数十年の住宅は なんとか建っていたが
電気もガスも水道もないので 住民はみな 家の前に立っていた。
その中に 親戚のおじさんの姿を見つけた。
大丈夫?
こっちは大丈夫や。
とりあえず 古い木造のこの住宅が 大丈夫だったから
実家も大丈夫だろうと 思った。
(後でわかったことだが わたしの家族や親せきは みな無事だった)
寒さと空腹と疲れで 目が回り始めた夜中すぎ、
大阪から バイク便で 夜食が届けられた。
緊急事態とはいえ 早朝に会社を出てから 働きづめのスタッフを 気遣い上司が にぎり寿司を 出前してくれたのだ。
しかし あまりの寒さに 寿司は 氷のように冷たく
ネタは まるでシャーベットのようだったが。
かれこれ 20時間ぐらい ぶっ続けで 働いていた。
もう 出先の私たちの存在なぞ 忘れられているのではないかと思った頃、
一組の男女が 私たちのところに やってきた。
応援で 他局から駆けつけてくれた職員で
中継業務を 交代してくれるという。
沖縄と 名古屋の人だった。
沖縄は 飛行機が飛んでいたので ダイレクトに 大阪に入れた。
名古屋は 近鉄のローカル線が走っていたので
三重、和歌山経由で 何とか大阪に たどり着けたそうだ。
自宅を飛び出してから ほぼ1日がたっていた。
大変なことが起きたのは わかっていたが
倒壊した高速道路の下で ずっと中継を出していたので
神戸の街が どうなっているのか まだ あまり把握できていなかった。
この後は 大阪には戻らず 神戸局に 応援に向かえと言うことで
中継現場はまかせて 先輩と被災地の中心にあった 神戸局に向かった。
外の現場から解放され、とにかく ホッとしたが
この先に向かう 神戸の中心街が 地獄絵図のようだとは
まだ わたしは 知らなかった。
(続く)
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