昨日の記事に書いたように悪い猫は虹の橋へ行ってしまった。残された者たちはGrief Work中だ。
Grief Workは(日本語で「悲哀の仕事」と呼ばれている)、家族、友人、大切なものの喪失からくる悲しみを乗り越える作業だ。
(ネットでいろいろ調べたのだが、ペットを亡くした場合にこの過程をきちんと終えないと深刻なペットロスになってしまうこともあるらしい。)
ウサオと私はとりあえず泣きたいだけ泣いている。さすがに仕事中は泣いたりはしないが、家で悪い猫との思い出につながるものを見るとすぐに涙が出てくるし、道を歩いていて犬を散歩させている様子を見ても涙が出てくる。昨日の記事は悪い猫と最後の日を思い出しずっと泣きながら書いていた。(そのせいで目の周りが腫れていて鏡を見ると非常に不細工である)ベッドに入ってもしばらくは涙が止まらない。それにしても泣いても泣いても涙が枯れないのは不思議だ。
もう1人(1匹)残された側の良い猫についてだが、悪い猫は元々良い猫の遊び相手としてSPCA(動物保護団体)からやってきた。悪い猫が来る前、良い猫にはキングという兄貴猫がいた。良い猫は本来なら母猫とまだ一緒にいる時期に引き取られてきたせいか、キングを母親のように慕っていた。そしてキングもとてもよく良い猫の面倒を見たので、二匹は親子のようにいつも一緒にいたそうだ。ところがある時ウサオが旅行から戻るとキングがベッドの下で死んでいるのが見つかった。(ペットシッターに二匹を託したのだが、シッターから特にキングの体調についての報告はなかったので本当に突然死んでしまったらしい)悲しみの中、ウサオはキングを庭の隅に埋葬したそうだ。
キングがいなくなったことに一番ショックを受けたのが良い猫だった。キングが埋められた場所で座り続け食事もろくに取らずに気がふれたかのように鳴くようになったのだ。それが何日も続いたので、ウサオはこのままだと良い猫が病気になってしまうと心配になり、キングに代わる友達として悪い猫を引き取った。
二匹は最初のうちは仲が良かったらしいが、私がカナダに来た5年前はあまり仲が良いとは言えなかった。格別仲が悪いわけではないが、つかず離れずの距離を保っているように見えた。ただ良い猫は先住猫としてのプライドからか、悪い猫が自分を差し置いて私やウサオに甘えることには厳しかった。自分の目が届く範囲で悪い猫が私に甘えていると飛んできた。そして悪い猫の傍に行きニャーと一声するだけで悪い猫は脱兎のごとく逃げた。たまに悪い猫がそれを無視すると、ネコパンチをしてどかせて私の膝を独占した。いつからか悪い猫はリビングルームで私の膝に乗らなくなった。その代わり良い猫がベースメントの私の部屋に行かないことに気が付いてからは、私の部屋に来て膝の上を独占するようになった。
そして悪い猫の最後の日が来た。ウサオと私が泣きながら悪い猫と一緒にいた時、良い猫はというと
爆睡していた。
あくまでマイペースな良い猫にはびっくりしたが、ウサオがクリニックから戻ってしばらくすると、家の中の歩きまわっていらしい。
人間と猫では感情がちがいのかもしれないが、15年近く一緒にいた悪い猫がいなくなったのに全然気にならないのだろうか?
だが、昨日仕事から戻るとウサオが良い猫が悪い猫を探していたと教えてくれた。おそらく悪い猫の姿が見えなくなってとまどっているのだろうと。
そして今日帰宅するとウサオは良い猫は悪い猫を探して家の中をずっと探していたと涙ぐみながら教えてくれた。良い猫が悪い猫を探す時の声はキングがいなくなった時と同じだったそうだ。まだまだ私達のGrief Workは続きそうだ。
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