今回はできるママの定義をご紹介しておきましょう。まずできるという言葉の定義。
できる=成績が良い、頭がよい、学歴が高い
というのがまあ一般的な定義だと思います。しかしこれらの言葉をさらに定義してゆくと。。。
成績が良い >> 問題がよく解ける >> つまりはブックスマート(本の中身の事だけわかる人の事を指す)
では頭がよいという定義。
頭がいい >> 成績が良い >> 問題がよく解ける >> ブックスマート?
つまりどちらも学校のお勉強が良くできる人をできる人と指す事が多いと思います。人の能力をはっきりとみるには数字で出すのが一番簡単であること、というかそれしか現代の日本では方法がないわけで、
漢字のテストで100点の子供と、たまたまテスト出題された漢字を知らなかった子供が20点だった場合は、100点の子供が頭がいい。と結論づける。頭のよいという日本での定義は、数字の高い子供を指す。という事になります。
通常点数のとれる子は、テストに通りやすくなりますから
学歴も高い >> つまり人生ゴール!親の役目終わり。
といったところではないでしょうか? 1点でも高い点数をとらせる為に子供を学校終了後、塾に追いやり、点数の取り方テクニックを詰め込ませ、学歴が高い子供に育てるのが親の役目というのが風潮です。
これって、30年前は確かに学歴社会で必要だったことなのですが、現代では古すぎる。こんなに時代が変わっているのにまだ同じ事をやっている日本の教育状態に唖然としてしまいます。
それが女性となるとさらにこのレースに矛盾が生じてきます。
できる子供になり、大学で東大に入ったとしましょう。大企業ソニーに就職し、適度な給料をもらい、適度な仕事をし、適度なところで結婚し退職そして専業主婦。えーーーーーー。これって?
そして専業主婦のまっているのは、みんなであつまりお茶をしながら趣味の講座を探しまわり受講中。適度な派閥をつくり団体でお出かけ。その団体の中には高校までしかでてないお母さんだっているかも。。。。ってなわけですよ。そう。結局一緒に言って楽しい人が人間一番良いというわけで、この学歴がゴールとされていた人生ゲームは結婚退職ですっぱりと跡形をなくす訳です。
そして30歳過ぎて職もなく、パートのパン屋で働き時給数百円でこき使われる。悪循環です。
一方できるという定義をこのようにとったママもいます。
できる= 人と仲良く(やさしく)できる、考える力がある、世の中の仕組みを知る
なんだかこの定義は理想主義でなにか雲の上のようでこんな事してたって勉強できるようにはならない事ばかりです。このママにとってのできるという定義が根本から違う為です。
まず
人と仲良く(やさしく)できる >> 遊びを通して人間関係を体験しながら学ぶ >> 社会にでてから様々な可能性を広げる能力となる。
考える力がある >> 自分の脳を使うので、マニュアルにない想定外な事も連想できる力がつく。発想力、開発力、知恵を必要とする人材がいま求められているので有効な人材となり得る。
世の中の仕組みをしる >> なぜ子供は学校に行くのか?なぜ人は働くのか?などシンプルな問題を理解してゆく事で疑問に感じる世の中の仕組みの矛盾を知る事で様々な新アイディアとなるビジネスモデルが生まれる可能性がある。
全く真逆です。
結果が就職ならもちろんはじめのママの方が方向性があります。しかしこのママはその子供が就職して幸せに働くを前提としています。嫌な上司がいて給料をカットされというような過酷な条件は全く想定していないのです。
もう一人のママは、ゴールを定めていません。時系列に考えるのではなくその子供が幼少期に感覚としてしか身につける事ができない人の感覚というものを重視しているため、より柔軟な選択肢がその子供たちに与えられてきます。
いまの世の中、学歴をちらつかせても実際の中身が伴わないとなかなか生活する為の力にはなってきません。遊びを制限し、塾にいれてという行動がいかに自由発想という型枠をはずしてしまうことか、今一度考えてみる時期なのかもしれません。
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