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178. 祈りのある風景

カテゴリ 中東

中学校の地理の資料集には、世界の宗教に関するページがあった。そこには足元までのびた縫い目のない白い布に身をまとった人がお祈りをしている写真とともに、「イスラム教徒はメッカの方向に向かって1日5回、決まった時間にお祈りをします」と書かれていた。1日5回もお祈りしたら、日常生活に支障があるのではないか、電車やバスで移動している間にその時間になったらどうなるのだ、というのが当時の私の疑問だった。

大人になってイスラム圏と関りを持つようになったことで、この疑問はスッキリ解決!と言いたいところだが、実はそういう訳ではない。なぜならイラン、特に首都のテヘランでは、モスクなどいかにもというところ以外、街中ではほとんどお祈りを見かけることがないのだ。この駐在の間、道端でばったりお祈りをしているところに出くわしたのは、地方の旅行中を含めてもたった2回だけだ。とにかく、お祈りの時間にモスクに行くか、国営放送を見るかしなければ、祈りのある光景に出くわすことがほとんどない。

しかし遡ること10年前、私がペルシア語を学ぶ学生として大学寮に住んでいた頃、祈りのある光景がそこにはあった。コロナウイルスの感染が拡大した今、濃厚接触間違いなしの環境で生のペルシア語やイランの文化が学べた時間は、何事にも代えられないものとなってしまった。ルームメートのうち一人が、珍しくイスラムの戒律をわりと守るタイプの人だったのだ。ちなみにムスリムに「イスラム教徒なのにお祈りをしなくていいの?」と聞くのは、それが冗談であっても野暮である。彼らにとってはイスラムの信仰と実践は自分次第で、自分のできる範囲で実践することにこそ意義があると言う。

さてその友人、特にラマダーン中はより信仰心が篤くなるらしく、1日3回のお祈りをきっちりとやっていた。しかし私たちが当時生活していたのは6畳一間。そこに4~6人ぐらいが同居していた。ただでさえ場所がないのに、祈りのスペースなんてどうやってとるのだろうかと、不思議に思っていた。お祈りの時間になれば、彼は押し入れに押し込んであった小さいマットと、モフルと呼ばれるベビーカステラより少し大きい素焼きの小片を取り出す。モフルはシーア派だけの道具で、お祈りで地面にひれ伏したときでこに当たる位置に置かれるものだ。着替えはしない。Tシャツに短パンという部屋着そのままだ。お祈り時間はまちまちで、大体10分から20分ぐらい。最初どうしていいか分からず、私はお祈りが始まると部屋の片隅に体育座りをしてその様子を見守った。何だか息すらもしてはいけないような気がして、妙に緊張したのをよく覚えている。でも周囲を見渡せば、他の友人たちは何事もなかったように、今までやっていたことをそのまま続けている。

こんなこともあった。私が外出から戻って部屋のドアを開けたら、その友人が入り口の近く(6畳なのでどこでも入り口に近いが、)でお祈りをしていた。格好はもちろんTシャツに短パンだが、顔つきは真剣そのもの。放課後忘れ物を取りに教室へ戻ったらいつもうるさいギャルが数学の青色チャートを広げて勉強していたのを見かけて、気づかれないようにその場を立ち去ったあの日を思い出し、私はお祈りが終わるまで部屋の外で待っていた。

お祈りをしていない友人に思い切って聞いてみた。同室の人がお祈りを始めたら、どうやってその時間を過ごせばいいのかと。「お祈りをしている人の前を通らないことと、迷惑なほど大きな音や声を出さなければ、他は普段どおりでよい」というのが、彼の答えだった。私が、「部屋でお祈りが始まると息をしてはいけないくらい緊張する」というと、その答えが随分意外だったらしく、彼は笑い始めた。

彼らにとって「祈りのある風景」は、要するに他人が部屋で歯磨きをしているのと変わらない、日常の風景なのだ。でも普段お祈りをほとんど見かけない私にとって、それは完全に異世界での出来事。邪魔をしてはいけないと、身動きが取れなくなってしまったのだ。

時代は過ぎて数年前。私の妻がイランに来て間もない頃。彼女もイランに来てお祈りをあまり見かけないことを意外に思ったようで、どこかでお祈りを見たいといった。丁度タイミングよく家庭教師が信仰の篤いムスリムで、お祈りの時間が授業後になる季節を迎えていた。彼女にお願いして、授業後に部屋でお祈りをしてもらってから帰宅してもらうことにした。

彼女にとってはどこでお祈りをしようと全く関係ないため、私のお願いに従って授業後にお祈りを始めた。私も妻も「お祈りを見たい」と言いつつ、まさか至近距離でじっくり眺めるわけにはいかず、遠巻きに、その様子をちらちら眺めるくらいにとどめておいた。

祈りのある風景が、8年ぶりに私の部屋に戻ってきた瞬間だった。




【ひとことペルシア語178】bu-ye kabab kardan(ブーイェ キャバーブ キャルダン)
:buは”におい”、kababは”キャバーブ(串焼き)”。直訳はキャバーブのにおいをかぎつける(かぐ)。そこから、自分の得になりそうなことを目ざとくかぎつける、という意味になる。



書物で知るイラン33『ペルシア見聞記』東洋文庫、J.シャルダン著、岡田直次訳

丁寧な観察と考察、そして翻訳綴られた、およそ450年前のイラン。 そこに活写された彼らの姿と現代を比べてみてもうなずける部分が多く、その意味でもっと早くに読んでおけば良かったと後悔が大きい本。 
あとがきで知ったが、訳者の奥さまはイラン文学者の岡田恵美子先生とのこと。その意味でも、非常にクオリティが高い作品であることは請け負いである。



*この記事は個人の体験に基づいて記載されており、筆者の所属する組織の見解とは全く関係がありません。

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イランの首都テヘランに駐在中の筆者が見た、この国の模様を執筆するブログ。駐在先としてあまり聞かないと思われるイランの様子を肌で感じられるような記事を週に一回アップ中です!

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