おはようございます。
津梁貿易の金城です。
この、「中国古典:兵法三十六計」シリーズを始めて、
色々な方からこのシリーズを書く理由を尋ねられるのですが、
単純に私の趣味です。
趣味を発信するのは少しどうかとも思いましたが、
まぁ、いいかと開き直っています^^;
では、シリーズ化している兵法三十六計です。
この兵法三十六計は大本になった故事の時代がバラバラですが、
大体5世紀までの故事がメインになっているようです。
中国古典:兵法三十六計をまとめてみたい方はこちらをどうぞ。
中国古典:兵法三十六計
では、今日のテーマは「借屍還魂」「屍を借りて魂を還す」
原文は以下です。
有用者、不可借(有能な者は、利用できず)
不能用者、求借(無能な者ほど、利用できる)
借不能用者而用之(無能な者に、貸しを作るなら)
匪我求童蒙、童蒙求我(一方的に利用し、利用されない)
これは、以下の故事からの知恵です。
三国時代、魏の司馬昭(司馬懿(仲達)の子)は野心がありながらも、相国・晋公の地位と九錫が下賜されようとするとそれを辞退し続けました。
これは皇位簒奪の足場固めであったそうです。
魏の皇帝曹髦は司馬氏の勢力が日に日に強まるのを憂い、司馬昭を討つ決意を固めたとき、諌める王経らに対して「司馬昭の心は、路傍の人も皆知っている」と言いました。
曹髦は挙兵するも司馬昭によって討たれ、魏宗室は完全に力を失ってしまいましたが、曹髦の言ったように司馬昭が野心をもって皇帝を廃したことは民衆の誰もが知っていましたので、さすがの司馬昭も世論を憚って帝位につくことはできなかったといいます。
結局、傀儡に過ぎないながらも曹奐を皇帝として即位させ、司馬昭は臣下としての位置に留まってみせることで世論の道義上からの批判をかわそうとしたとされます。
皇帝を殺した司馬昭は後年蜀を平定し、相国・晋公の位を受けたが、帝位には生涯つくことができませんでした。
これを大まかに解説すると、役に立たないと思い、皆が手放したものを再度役に立てよう、と言ったところでしょうか。
普通、人は社会的に認められていないものを、利用することはありません。
従って、社会的悪は、利用し尽くしてしまえば、社会的善となることを見抜く必要があります。
利用出来ないと錯覚しているから、社会的悪と言われているだけなのです。
もし、利用出来ると分かれば、人はそれを必要悪として肯定してしまうでしょう。
それでは明日、この「借屍還魂」をアフリカマーケットに応用した例をご紹介しますのでお楽しみに!
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