<マレーシア発見、再発見。快傑ハリマオも驚き桃の木どうする気>
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帰国旅日記4:山口って凄い街だった。フランシスコザビエルも
日本の明治維新の強者も集合。
成田から広島、山口、津和野、広島へ戻る旅日記が続いています。
山口駅歩いて15分商店街、アーケード。早い時間なのでまだ開いてない。
こういう田舎に「お宝」あるのかも。TVでおなじみ実際募集してるし。
マレーシア在住なので日本の事、よく分からないけど安いのかな?
まあ、とにかく、猿も馬も、、挨拶・・・・・・
津和野の地は近代日本の曙だったらしい。歴史よく分からないけど。
「時代の変革のうねりは、この地から」というタイトルが目立つ。
文久3年、長州藩主の毛利敬親公は藩庁を萩から山口に移した。
これがきっかけで、山口は明治維新の策源地になったらしい。
この街に普通にある看板だけど、木戸孝充、西郷隆盛、大久保利通、
伊藤博文、井上かおる、高杉晋作らは、この地で会談してたらしい。
坂本龍馬も加わり倒幕運動と維新の変革に、重要な地点となった
らしい。失礼だけど、この山口がザビエルさんと共に、そんな凄い
場所だったとは知らなかった。
日本にいろんな意味で大変な影響を与えたこの地ですが、そのゆかり
の地のうち、県庁の近くにフランシスコ・ザビエルのカトリック教会
があるというので行ってみることに。
そうしたら、その教会の入り口の幼稚園の卒園生に「柔道の大野選手」
がいたとは。幼稚園前にこの看板があったので写した。
これが、山口カトリック教会・・へェ~~~塔が高い。
以下は普通の人は中々体験できないでしょうから、代わりに行って
来てご報告です。簡単に言えば、その当時、ザビエルが鹿児島に上陸
しなかったら、日本という国はかなり遅くまで西洋に知られないまま
西洋を知らないままだったと思う。それは紛れもない「歴史」ですね。
フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を広めるために鹿児島
から上陸。その後の足取りを屏風絵巻風に描いたもの満田氏の作品。
ザビエルの一行が、日本目指して荒波、航海している様子。
当時の日本の地形地図は、西洋人にはこのようになっていたらしい。
下は説明によると、1550年12月、山口から岩国、堺、まで行き、
その後雪の中を京都まで歩いたという絵。 京の天皇に謁見を申し
出たが、実現しなかったらしい。長崎に戻り再び山口を訪れたとか。
遺品としてのガラシャ夫人姉妹?所有の呼び鈴。下には十字が刻まれ、
当時の隠れ信仰を物語る。
有名な「踏み絵」ですが真鍮で出来ており沢山の人がこれを踏んだ
のですり減っている。遠藤周作の「沈黙」を思い出す。
江戸時代、キリスト教信仰が禁教とされた時代に信者を探し出して
捕まえるためにこれを踏ませた。寛文9年1669年のことだったと。
レンズで映し出すものは、ザビエルの当時被っていた帽子の赤い小片
と伝えられている。公に認められているらしい。
さて・・・・
消防署の隣には地元でパンで有名「ZAVIER CAMPANA」と言う
「ザビエル・カンパナ」レストランがあり、ブッフェ、パン食べ放題
もあるので入ってみた。
1階はそのパン屋さん。2階がブッフェレストラン。
このクロワッサンは、あまりに大きかった。美味しそうだった。
ピスタチオのパンって珍しいのかなぁ。
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