***南国新聞の掲載後に、各回を多少編集して書いています***
========= [第3回]=====
~身体のきしみと心の高揚に包まれ体験しました~
あの有名なキナバル山に老体にむち打ち挑戦! !
<<申し込みはいつだったの?>>
マグドナルド?の「M」は、マウンテンの頭文字「M」に見えてくる。
今回のキナバル登山計画は、実を言うと私達夫婦からじゃなく、お付き
合いのあるマレーシア人家族とその友人の立案で、約1年半前からのもの。
・・つまり、あの2015年6月5日のマグニ6.0の地震の以前から、すでに
申し込みは済ませてあったのです。
<3272ⅿのラバンラタ・レストハウス内には、地震当時の記録写真が
飾られている>
地震前には既に現地のツアー会社への50%のデポジットは、払い済み
だった。ローカル友人達と計13人で行く計画で、地震発生ニュースは大変
ショックだったが、マレーシア政府とサバ州の対応も見極めながらも、そう
簡単に登山計画を止めるわけにはいきません。・・その当時、マレーシア人
が、キナバル地震の事をあまり気にしてないことに・・逆に驚いた。
<地震当時のケガ人の搬送の様子や、ガイドやポーターの登山者救出の
活躍も記録されている>
マレーシアン友人家族9人とその友人のシンガポ―リアン2人私達2人で
計13人。・・登山後は、コタキナバル(KK)市内ジャランジャランや
アイランド周遊など合計1週間滞在の予定。・・8歳の子供がいるため、
キナバル登山後は、観光が必要だった。KKの近くの島めぐりと、シュノー
ケリングの計画も立てられていた。
追記:今日の記事は、キナバル山に登った翌日に海に入ったという最初と
最後の場面になってますが、4回から~登山記が続きます。
<<山と平地の温度差は? >>
<キナバル登山後は、近くの島めぐり2つを敢行。
・・・・・・遠くに見える頂きがキナバル山だ>
「コタキナバルの海」は綺麗だ。
キナバル山サミット頂上付近での気温の0度、はっきり言って寒い。一転して
平地では30度の常夏の海でのバカンス。この温度差30度。身体大丈夫かな。
だって、前日の夜遅くキナバル山登山からホテルに着いて翌日の午前中には
30度の差のあるこの海でのお遊びですよ。人間のお身体は変化の順応にOK。
日本の冬から真夏のマレーシアに飛行機で降り立つ感じだ。後述するけど、
下山後は、実はマッスルペインで歩くのがやっと。温度差は関係なかったが、
登山後の遊びの数日も、筋肉痛で、普通に歩けず、海どころじゃなかった。
<写真を拡大した。この島めぐりからも、雲に覆われたキナバル山の雄姿が
見える。あの山に昨日登ったかと思うと山と海の光景、不思議な気持ちになる>
”どこでも韓国人”・・海でもゴルフ場でも「白い肌」そんなに好きか?
ここでは・・・海だというのに、日焼けが嫌で、全身、布で顔隠し。
・・でいて、写す方も、写される方も顔隠し???正体不明なり。
海岸でのランチブッフェ付きだったので、このように海老の鉄板焼き。
<一方、マレーシア人仲間は、早速シュノーケル。
・・頂上付近は気温0度前後で冬。この海岸は真夏。この差30度>
・・私達ご老体は、太ももとふくらはぎの痛みでヒーヒー言っていた。
マレーシア人達は若い。年齢構成は、家族の8歳の男の子から始まり、
25歳30歳代、せいぜい50歳後半。私達はアンクー&アンティー言われて
年寄り扱い。
・・でもこの旅と山行で、マレーシア人の年配年寄りをいたわる気持ち、
足は痛く、心にも、“痛~く”浸みました。随所に気遣いがあるんです。
・・・・・・・・・・それこそ「キナバル山」=「アリガト山」でした。
(4回目に続く・・・・新聞掲載より多少付け足して書いています。)
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