<<2016年の8月から「南国新聞」に連載の予定でしたが、紙面の
都合で遅れたようです。若い頃は、無鉄砲に山の単独行もよくやった。
今は老体のマレーシアでMM2H。40年前の山を忘れた山男の山行日記
・・""あれェ~~から、40年””・・・その復活劇です。
南国新聞の掲載後の数日後に、このブログでも紹介することにします。
紙面の都合で新聞に書けなかった事も、・・少し、出るかもです>>
====== [第2回]=====
~身体のきしみと心の高揚に包まれ体験しました~
あの有名なキナバル山に老体にむち打ち挑戦! !
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日頃の後退気味の脳内活性化を図るべく、日頃、小さくてもいいからと、
マレーシア発見再発見を 心掛けている永住的ロングステイヤ―の私。
がむしゃらに働いてきた世代の今はMM2H。消えてしまっていた登山への
渇望をその眠りから揺さぶり起こしてくれたのは、1年半前以上からこの
登山の計画を立てていたマレーシアのローカル友人達だ。
・・・彼女の言葉は、「”私の田舎”の、キナバルに登る?行く?」だった。
今思えば・・何でも挑戦というより、与えられたチャンスは、可能な限り
前向きにトライしようという気持ちに背中を押された形。マレーシアに長期
滞在しているせいか、生活はやはりマンネリ化している感がある。
<<登山開始当日のキナバル山の山頂に「シルバーヘアー?」か。
「シニアも歓迎、おいでおいで」を言っているようだった。
富士山でいえば、「ひさし笠」という名前の雲かな~>>
・・でも何かを発見、再発見しようという気持ちが、まだまだマレーシアに
住まわせる原動力になっているようにも思う。これは自分の今までの原点で
あり、これからの将来を見据える視点でもある。
<見上げれば帽子の「シルバーヘアー」が「神秘的な空」と一体だった。
山の天気は激しく変わる。覚悟は出来ている。あの雲の上に登るのだ>>
<<ホテルの壁の額には、このような珍しい帽子雲写真も。
美しい。これは、富士山でいえば「にかい笠」という名前らしい>>
<<登頂出来たの?頂上まで行ったの?>>
実を言うと、今回の登山だが、ワタクシ達夫婦2人だけが4095.2mの
頂上には登れず、その手前の3668.10mのチェックポイントで登頂を断念
せざるを得なかった。
キナバル山登山のルールに従ってそれ以上行くことは出来なかった。理由は
体力の限界=無さ。ウチの奥さんの足の痛みと辛さで頂上までは無理と判断
したのです。心は早っても肉体は中々思うようについていかないんですねぇ~。
・・・・精神は熱すれど、肉体は弱し・・は、この事だった。おかげで普通の
人が経験出来ないことも、体験してしまった。後ろから誰1人も登ってこない
一番ビリというのも普通の人には体験出来ない事でしょう。競争社会、人は皆、
どんな場合でも、ビリにはなりたくないからね。・・でも、人生、ビリでも
必ずしも悪いとは限らない。判断付かない時もある・・と、いい方に解釈・・
ビリケツだから良かった事だってあるはず。ビリがいるから1番がいられる。
<<山登りにルールがあった?>>
悔しいけど、結果的に頂上へは行けなかったことは事実。認めるしかない。
撤退も立派な勇気と心得る。深夜の2時頃からヘッドランプをつけて、一斉に
ラバンラタを皆が出発するのだが、3668mのチェックポイントSayat-Sayat
Hutに朝の5時までに着いてないと、それ以上、上に登れないという規則が
あったのです。
<<これは2人分の、表と裏面のキナバル登山用のIDカード。
入山・下山、登山中、どこでも、これは首にかけておく必要がある>>
知らなかった。首からかけている山岳許可のIDカードを紛失したらそこから
上に登れないのと同じ規則。私達は15分の遅刻の為、サヤッサヤッHUTの
山小屋前で、せっかくの登山、ストップです、諦めざるを得なかった。
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<<<ここから少しは今回の2回目の新聞に書いてない事>>>
後で出て来るかもしれないが、ワタクシ1人だったら頂上まで行けた=登れた。
ウチの奥さんの足の状態、ペースに合わせねばならなかったのです。自分も
キツかったけど、前の人のペースに耐えていけば、行ける=登れるものです。
・・が、彼女の遅い足に付き合いました。登る途中、ここで3500ⅿの誰も
いないその場所に奥さんを1人残すわけにはいきません。その場所って何?
しかし、富士山と同じ高度の場所に「女性を1人置いて」山頂まで登って
行った人がいたんです。
ポイント3668ⅿ山道、手前、約100ⅿ下に見晴らし台があって、そこは屋根
は無く、風はピューピュー、ただ8畳くらいのスペースの板の床があるだけ。
もちろん、灯りは無く、ヘッドライトが無かったら、周りは真っ暗闇状態!!
(・・・・こういう状態で、登ります。ビックラする程、マックラ闇です。
朝の輝かしいご来光を見る為です)
そこに白人のポニーテールの金髪の女性が1人座ってました。男性が1人いて、
ウロウロしています。後で分かったのだが、男性はキナバル山のガイドさんで、
責任上、彼女に付いていたわけで女性は足が耐えられなくここで休憩してたの
です。つまり、女性をここに残し、暗闇の中、相手の男性=旦那?さんだけが
頂上目指して登って行ったのです。
このことは、後で見かけた2人の会話や様子から分かりました。
ここで、後で思ったこと・・・・
1、自分に置き換えた場合、奥さんを3500ⅿ付近、風ピューピューの屋根無し
の場所に1人置いて、自分だけが山頂目指して行けるか?という自問自答疑問。
2、逆にウチの奥さんに強い強靭の精神があって「私はここで待っているから、
あなただけでも山頂まで登ってきて」という「大いなる愛と信頼の気持ち」が
あったか?・・「多分無かったであろう」という・・「”大きな大きな”疑問」。
3、1人待っていた見知らぬ金髪の女性には、その気持ちがあったのだ。自分の
逆境を知り、せっかく海外から来たキナバル山だから、相方には最後まで登って
ほしいとの気持ちがあったから、自分は寒くてもひざ抱えて縮こまっていても、
彼が登って降りて来るまでそこで待っていたのだ。
4、ウチの奥さんにはそれが無かったしその余裕もなかったはず。責められない。
本格的な山登りは初めてだから、自分にだって責任がある。人数限定の入山で、尚、
ガイド付きで、安全とは言え、3500ⅿに奥さんを、ガイドと2人、数時間、寒い
暗闇で待たせるわけにはいかなかった。
5、でも、その金髪のヨーロピアンカップルは違った。「待たせたし、待った」
のだ。お互いの信頼関係がそうさせたのか?う~ん、自分には出来なかった。
これって、いいのか?何なのかなぁ?
・・さて、話を戻して、3668mの「Sayat-Sayat Hut」の到着通過の時間
チェックポイントの設置・・・・
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この事は、この山の登山を管理するうえで、お互いの危険防止のためには
やむを得ない素晴らしいシステムだと解釈している。人生は厳しい。能力の
無い人は、今回お休みしよう。再度チャンスがあるからという事だろうか。
<<いろんな顔を見せる岩肌と、霧と雲で、とざすキナバル山>>
<<D other side of St John's 頂上付近、荒涼としている>>
この規則もそうだが、キナバル登山には、前日泊をしなければならないと
いうルールもある。飛行機で着いたその日の登山は許されない。
高い山でも低い山でも、山はいつも変わらず優しく厳しく堂々としている。
・・・人間の方で高ぶることなく、謙虚な気持ちの持ち方が大事なのだ。
心身を高山病に慣らす余裕持った安全性も、必要な考え方の一つなのです。
・・若い頃ォ~、体はスマート、ガムシャラ突進。
・・・・あれェ~から40年・・昔、体ピンピン・・今、お腹ポンポン。
+++(続く)・・・3回目の新聞公開の後に3回目を書きます++++
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