日本から友人が2人クアラルンプールに来ました。さて、どこに
連れていきましょうか?
あまり見るところ無いんですよ。・・考え方、見方だろうけどね。
そういう中で”発見&再発見”を探す?・・でしょ・・ムズカシイ。
マラッカは観光地の定番中の定番。クアラルンプールから約2時間
シンガポールから約2時間半・・の街。マレーシア初めての友人が
いるので、やはり「マラッカ」は、外せない。
ありきたりかもしれないが、その中で、お決まりのコースを行きます。
サンチャゴ砦・・・・・
この石を触ったら、ピピピと、脳がプルプルと感じ、現在までの
歴史が、走馬灯のように一瞬だけ走リ抜けたような・・この石は
このために作ったわけじゃないので・・年数を刻んだ石なわけだ。
この石の、上で、横で、周りで、血を流して死んだ兵士もいただ
ろうに・・・・むむ・・・・そう感じるのは、暑さのせいか。
凄い!・・怪獣のような「歴史、大木お化け」があるものですね。
やはり、暑いマラッカです。・・でも、雨でなくて良かった。
どうしよう、乗ろうかな?・・「トライ、しよう」ってか?
スタダイス・オランダ広場・・・・・・・
・・・お馴染み、派手派手「トライショー」です。
ダタラン・パワラン・マラッカ・メガモールの駐車場に車を止め、
歩きます。・・・ここは、観光バスが、ガンガン止まるところ。
もうちょっと行った先から、右に登る道が見えてきます。
・・ここです。「セントポール教会」に向かう階段道です。
・・・・何やら、光=光明が射してきたぞ。いいことあるかな。
・・マレーシア最古のカトリック教会の廃墟。日本人には有名な
宣教師の「フランシスコ・ザビエル」に縁のある教会として有名。
マラッカ海峡をのぞみます。普通のコースなので今さらですが。
・・ザビエルの右手首の無い写真を消去してしまったらしい。無い。
しょうがありません・・・・・では、今日の本題・・・
** ”そこに立っているザビエル像の右手の切断について”**
(像は右手首から無い)・・ザビエル死後、ゴアに搬送される途中、
マラッカにも埋葬された。
・・遺骸は腐らず残っていたので、ローマ教皇?は手紙だけでは信じ
られず右手を切断して送れと指示を出した。その後確認され、列聖に。
・・・又の説では、雷が落ちて大木が倒れ、ザビエルの右手をそいで
しまったからだという説、これは目撃者がおりいろいろあるようです。
・・・・ワタクシが思うのは前者。ただし教皇じゃない。何故かと
いうと、遺骸の右腕は、1614年、ローマのイエズス会総長の命令
だったはず。
セバスチャン・ゴンザレスにより切断され、ローマ・ジェズ教会に
安置されている。・・・・歴史記述有りで、これは事実らしいし。
この右腕は、1949年ザビエル来朝400年記念の時に日本にも運ばれ、
腕型の箱に収められて展示された。
・・尚、右腕上はマカオに、耳と毛はリスボンに、歯はポルトガルに、
胸骨の一部は東京に保存されている。・・・(参考:Wikipediaより)
結果として死後、右腕を切断しなさいとの命令の元、実行されて、遺骸
の一部は、世界各地に遺骨などとして、分散されていることになります。
しかし、こういう壁に興味あるには、自分だけかな?過去の歴史を
そのまま引きずって、現在でも、現存することで、そこで繰り広げ
られた、死の人生や、生の人生、男女の愛、主君への服従や反発。
歴史に翻弄された人間達の生き様を垣間見れるのが、この石や壁や、
床や土なのですから。
・・最後にもう一つ。ザビエルは、日本人を高く評価してたようです。
「今まで出会った異国人の中でもっとも優れた国民だ」と言ってたそうな。
・・・名誉心があり、貧しいことを恥としない、心の純粋さから来る
信仰心を高く評価してたようです。つまりザビエルは日本の国民性を
その当時から理解してくれていた・・と、解釈しています。アリガト。
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