恐ろしくも未熟な人間の営みに辟易して何度嘆いてみせても、所詮は大きな流れの中で誰の目にも触れずに消えてゆく塵のようなものでしかない。
そしていつも何処かで自己認識を誤ってる。まるで洗脳のような逃避に存在意義を見いだし、自己陶酔に浸った表現者の戯言に惑わされ、他己と自己を比較する事を恐れ、孤高の仮面に素顔を隠す。
いや、隠しているのは自分の顔ではないかもしれない。見えている現実をその美しい九尾の仮面で遮り、幻影のごとく己を不幸の代理人と偽って世界を隠そうとしている。
しかしお前は不幸なのではない。お前がお前より不幸な人間を見る事を放棄していることがお前が不幸にしている。歪んだ社会の遺児であるならば、それは一生己の不遇を理解し得ぬままに死んでいくことだ。
同一の時間軸に生きるものが多数いる以上、誰かが益を手にすることができ、誰かが何かを失わなければいけないことは重々承知であるはずなのに、それを不遇と嘆くのは愚直で自己中心的、もしくは小さな流れでしかものを見ることの出来ない貧困した価値観の持ち主であることの証明でしかない。
そう、まるで自らの手で命に罪の名を告げることを最高の美として崇拝する宗教のようなもの。盲目者のように世界から視覚というものを切り離されるわけでもなく、聾唖者のように世界から音というものを切り離されるわけでもない。産声を上げる前に息絶える赤子でもなければ、餓えを日常だと思っている骨と皮のようなやせ細った身体でもない。お前がお前自身を最高の不幸だと認識しているのだとしたら、なんて自意識過剰な奴だろうという風に戒めてやる。
大きな流れの中で主役など誰一人としていない。小さな流れの中で身勝手に他己や自己を神格化するから狭く窮屈な思考に惑わされる。
お前は本当の意味で不幸せと呼べるのか?不幸と呼べるもののハードルを低く見誤っていないか?
そう最後まで自身に問いかけ続けることが出来た時、ボクは成熟したと言えよう、、、、、
See you
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