以前紹介した、Sanspo.comの私の失敗シリーズです。今日は一時期サッカー全日本の守護神・川口能活選手の欧州体験です。
初めて味わう挫折だった。どうしたら厳しい状況から抜けだせるのか、何をすべきなのか、もがき続けた2年間だった。
川口能活、「何度も悔やんだ」海外移籍 同僚から“無視”
改めて調べるとPortsmouthは移籍当時、2部だったのですね。言葉だけではなく、プレースタイルの違いもあって、相当苦労したようです。
多少例は異なりますが、実は日本の親会社から海外へ派遣される駐在員、または似たような役割を期待されて現地で採用される日本人なども同様な苦労があります。
〔日本側v.s.現地側という構図で〕イソップの物語に例えると哺乳類v.s.鳥類の狭間にいるコウモリのようなもの。うまくことが運んでいると両陣営から感謝されますが、歯車がかみ合わなった場合に下手をすると真っ先に非難の対象となりかねません。特に立場上、それなりに大鉈を振るわなければいけないときには尚更です。
下手をすると"Which hat are you wearing!?"などと言われてしまう始末です〔笑)。私はありませんが。
このようなケースでは、けっして常に日本側が正しい、あるいは〔私の場合〕アメリカ側が正しいということはなく、異本的にはケース・バイ・ケースでロジック的に正しい、グローバル的なビジネス的な観点から正しい方向に物事を進めます。
私は、幸い、川口ほどの挫折と〔ある意味〕四面楚歌あるいは浮いた状態にはなったことはないので救われますが、この点だけは判断がぶれないよう、そして意思疎通が狂わないよう細心の注意を払います。
さて、ちなみに川口は最後次のように結んでいます。
GKとして海外に挑戦した初めての日本選手だったし、だれに相談していいのかも分からない。これはパイオニアの宿命なんだと割り切っていたが、実際は苦し かったし、何度も悔やんだ。ただ、この悔しさと向き合い、あきらめずにはい上がろうとしたメンタリティーは長い現役生活に役立っていると思う。
それでも、プロスポーツでも国内で成功し、海外まで飛び出せる選手、あるいは直接海外で挑戦できる選手もまだまだ限られているでしょう。また海外でいろいろな意味での難しさ・ハンディキャップを克服できる人材もけっして多くはないでしょう。
私は川口選手がイングランド生活2年目にここまで出場機会を落としていたことは知りませんでした。しかし、彼のこの経験はけっして失敗だったとは思いません。その後の彼のサッカー人生のほか日本チームにとってもとても貴重な経験になっていると思います。
私も海外でという思いと、確信のない妙な自信だけで飛び出してきてしまいましたが、日本よりもスケールの大きい、さまざまな経験 (成功も失敗も含めて)をすることが出来ます。若い世代にもどんどん出てきて欲しいと思います。