そもそも,ニュージーランドに来る直前は本当にドタバタで,出張セットと地球の歩き方(海外生活版)を抱えてなんとか飛行機に飛び乗ったという感じだった.
だから,海外生活に関する諸々の準備や下調べなどはほとんど出来ないまま来てしまった.
なぜこんな事になってしまったのか.
そもそもこの海外留学が決まったのは,長期の海外出張中の事だった.この出張は非常に特殊で,出張中は外部とほとんど連絡がとれない.今時,宇宙でも毎日情報が届くのに,どこにそんな場所があるのかと思われるかもしれないけれど,そういう場所があるのです.
それは南極大陸.
僕は南極地域観測隊に参加して,南極氷床の長期安定性の研究するため,現地調査をしていた.そこは昭和基地から1000 km以上も離れた本当の極地.
極寒の中,約2300 kmをスノーモービルで走破し,標高1500~2500 mの山々を登り,主な食事はフリーズドライ,全期間テント暮らしという極限環境.
そして,約3ヶ月の調査を終えた後は,南大洋の荒波に揺られる約1ヶ月の航海.
成田にたどり着いたのは出発から130日後の3月19日だった.
今考えても,僕はもう本当に疲れ切っていた.
成田空港では家族と5ヶ月ぶりの再会を果たした.
無事に帰って来られて本当にうれしい.
当然,娘には完全に忘れられていて,抱っこをしようとしたら成田空港のロビーに鳴き声が響き渡ったけれど.
でも,それは僕だけのケースでは無く,越冬隊員にとっては一年半ぶりの再会だから,あちこちで子供の泣き声が聞こえた.
苦楽を共にした多くの隊員達は,休暇を取り,家族と過ごしたり,帰省すると言って去っていく.
一方,僕にはニュージーランド出発まで10日しか残ってなかった.
なぜなら,この海外留学は2009年度中に出発しなくてはならないからだ.
体を休める暇も無く,翌朝から渡航準備に追われた.
ビザ申請のための健康診断に出かけ,大使館に行ってビザの申請し,研究所内の業務を片付け,溜まりきっていた郵便物・メールを処理し,不在中に出版された論文をチェックし,査読を引き受け,海外出張中に関係する研究機関に挨拶を済ませた.
そして,友人らが開いてくれた帰国歓迎+壮行会に三つほど参加し,奥さんの実家に顔を出し,娘とも関係修復が進んできた頃にはもう出発前日となっていた.
今回の渡航では,僕がまず一人でニュージーランドに渡り,生活基盤が出来てきた頃に家族が来る手筈としていた.だから,せっかく認知して貰えるようになった娘とも暫くのお別れだ.
不安と寂しさと疲れを抱えて,僕は再び成田へ向かった.
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