今朝、目覚ましが鳴り、寝起きの悪い私は
ベッドにぼんやりと横たわっていた。
何故か、懐かしいという感情の余韻が残っていて
何だろう、と霞のかかった頭で考えてみた。
そうだ。思い出した。夢を見たのだ。
今月の初めに亡くなった知り合いの夢。
最近は、見た夢なんか覚えてもいないのに
夕べの夢は何故か瑞々しく覚えていた。
メアリーは私がシングルマザーになり
大学へ通っている間の4年間、働いていた
大学内のオフィスのディレクターだった。
当時40代だった彼女は何というか、とてもClassyで
フレンドリー、でも、どことなく遠くにいるような女性だった。
わかるかな?
物腰がとても柔らかく上品なんだけれど
自分をとても堅い殻で包んでいる感じ。
お化粧もほとんどせず、髪を染めるのを嫌い
ブロンドにシルバーが混じったヘア。
服装は、ローラ・アシュレーなどのカントリー・シック。
子供のいない彼女とご主人は
ゴルフが好きで、よく日焼けした肌をしていた。
英文学がの修士号を持つ彼女は
彼女の秘書にタイプしてもらいたい文書なども
事務用のメモ用紙やルーズリーフではなく
上品な便箋にとても素敵な字で書いて渡していた。
彼女のオフィスも、乱雑な周りのオープンスペースの
オフィスとは対照的に
彼女自身が持ち込んだ、プリント絵画やお花で飾られ
“メアリーの空間”になっていた。
彼女はとてもプライベートな人だったが
時折、ご主人と出会ってならそめやら
彼女の甥っ子達と遊んだ週末やら
ユーモアを交えて話してくれたこともある。
クリスマスには、毎年、彼女の部下全員に
とても素敵なラップングの施されたプレゼントを渡していた。
今でも覚えているのが、Talbotの可愛い靴下。
いつのまにかなくなってしまったけど。
メアリーとは私が卒業して以来、特に連絡は取っていなかったが
共通の友人から、時々、彼女の様子が耳に入ったり
TJMaxxで出くわしたりしていた。
最後に彼女に会ったのは、確か去年の夏。
すでにリタイアしていた彼女は、ゴルフ三昧の毎日を送っている
と、やはり日焼けした、まぶしい笑顔で教えてくれた。
そして、それが彼女に会った最後になった。
私にはフェイスブックを通してつながっている
当時の同僚/学友がいて
先週、メアリーが亡くなったんだって、というメッセージが来た。
アメリカでは、地方紙にお悔やみ欄があって
家族が亡くなったとき、そこに、どんな人生だったか
誰に惜しまれて亡くなったか等の記事の他に
お葬式の日程などを報じることができる。
多分、このお悔やみ欄は、どこの地方紙でも
一番読まれている欄じゃないだろうか。
私も、インターネット版のお悔やみ欄で
メアリーの記事を探してみたが、とてもシンプルなもので
お葬式が終わったあとに事後報告として書かれていた。
プライベートな彼女らしい家族葬らしかった。
そのことを大学時代の友人とメッセージで連絡しあいながら
ふと、思い出した。
私の同僚が、同じカントリークラブでゴルフをやっていることを。
彼とはもう何年も一緒に働いているが
全くそのことを、メアリーのことに結び付けて考えもしなかった。
そこで、彼にメアリーの死を知っているかと聞くと
「ああ、知ってる。
今年、僕、アイルランドにゴルフに一緒に行ったろ?
あの旅行にもメアリー、ご主人と来てたんだよ。
彼女、春に脳梗塞で倒れたんだけど
ドクターがOKを出したみたいなんだ。
ゴルフは出来なかったみたいだけど」
え、それじゃ、その後遺症で?と聞くと
「いや、そうじゃなくて、彼女は最近具合が悪かったんだけど
重い腰をあげて、病院へ行ってみたら
もう末期だったらしくて、癌が全身に拡がっていて
その三日後に亡くなってしまったみたいなんだよ」
絶句。
62歳という若さで亡くなったというのもショックだったが
そんな突然。。。
彼女は胆の据わった女性だったので
それを受け入れて亡くなったんだろうか、それとも。。。
全くというほど連絡を取らなかった間柄だが
シングルマザーで大学生という
私の人生の中でも、もがいていた時期に
私に強烈な印象を残した彼女の死は、本当にショック。
職場で、しばらく呆然としてしまった。
冒頭の夢の話に戻るが
夢の中のメアリーは、デスクで何か手作業をしていて
周りを何人もの学生(?)にぐるりと囲まれていた。
私もその中の1人だったのだが
名前を呼ばれ、彼女に手を取られ、指導してもらう
というものだった。
夢の中の彼女は、やっぱり上品で素敵。
私が覚えているメアリーそのものだった。
合掌。
読んでくださってありがとう。ぽちっとよろしく。
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