1月半ほど英語の鍛錬よりも理工・IT系に走っています(汗)。でも、浮気じゃありませんよ(笑)!
Scilabというオープンソースの数値計算ソフトを中心に理工系の課題と格闘していて、自分自身でツールとして使えるようになってきました。
この図は倍音であるSine波を重ね合わせていくとのこぎり波となっていく様子をシミュレートしたものですが、技術的な内容に興味のある方は最後のリンクを参照していただければと思います。
ところで、今回このツールを使いこなせるよう格闘している過程で、「教科書や問題集からの自立」することの必要性を痛感しています。
これは、英語も含めて、何についても言えるのではないかと思いました。
いわゆる 「守・破・離」 もともとは能を確立した世阿弥の言葉だということですが、現代風に分かりやすく説明したものがあったので紹介します。(また敬愛する『松岡正剛の千夜千冊』にも記載があるのでそのリンクを貼りますね)
「守」:指導者の教えを忠実に守り、聞き、模倣する段階
「破」:指導者の教えを守るだけでなく、自分の考えや工夫を模索し試みる段階
「離」:指導者から離れ自分自身の形を作る段階
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100725/238309/
いわゆる「守」の段階で徹底的に基礎を築き、「破」の段階、「離」の段階へと発展させていく ― これは間違いないでしょう。
一方で・・・「守」だけにとらわれ過ぎない私も含めてひょっとして多くの日本人が犯しがちな誤謬として、「守」にとらわれ過ぎてしまい、そこから抜け出れず、学ぶこと自体が目的となってしまっているケースもあるだろうと思います。
日本人は「師」や「学閥」といった権威主義に弱いところもあって、一人前になるまで口を開くなという風潮があります。それが行き過ぎてしまうといつまで経っても「守」から抜け出れない状況に陥ってしまうのではないかと思います。
私自身を振り返って、とても反省しています。
一方、自己主張の強いアメリカ人はどんどん自分の発想を入れてきます。
学問、芸術、工業製品を含めて、見ていると何でも彼らは自分流に応用して「アウトプットして」きます。もちろん「守」の基本を疎かにしてよいというわけではありませんが、そのバランスは必要でしょう。
あのSteve Jobsを思い出します。自動車でも、いわゆる「ペーパードライバー」じゃつまらないですよね。
どうせなら、山や海にドライブに行って、豊かな人生を楽しみたいものです。
カリフォルニアで子供たちが学校に通っていますが、「プロジェクト」と呼ばれる課題がとても重要になっています。
見ていると、ただ単に教科書と授業を「座学」として学ぶだけでなく、ある応用的な課題が出され、生徒が学んだことを自分たちで応用・発展させてこれをまとめ上げ、さらにみんなの前で発表します。
教育カリキュラムでも応用力・実践力を伸ばそうとしているのですね。発表力、デモンストレーション力とともに。
私自身が「守破離」についてもう少し理解を深める必要がありますが、「守破離」の思想も「守」だけに重きを置いているのではなく、また必要に応じて常に原点、「守」に立ち戻ることの必要性も説いているのだろうと思います。
守って破って離れる、のではない。
守破離は、守って型に着き、
破って型へ出て、離れて型を生む。
この思想は仏道の根本にも、
それをとりこんで日本的な様式行為をつくった
禅にも茶にも、また武芸にも、
開花結実していった。
1252夜『守破離の思想』藤原稜三|松岡正剛の千夜千冊
ただし、教科書は一通りこなしますが、それだけではなく、「教科書とその練習問題を離れ」て、自分で自分に課題を与えてみました。最終的な目的はまだまだ遠いのですが、いわゆる習作です。
ハネムーン先のスペインでピカソ博物館へ行きましたが、あの「ゲルニカ」には何枚も何枚もの習作があることに深い印象を持ちましたが、それと同じです。
こうした自分の習作を作っているうちに、ツールを知っているだけでなく、使えこなせるようになりつつあるという実感が出てきました。
やっと教科書・テキストから「自立」できた気がします。 私のように苦労しないで出来てしまう優秀な方は山ほどいるのでしょうが。
自学自習なので課題は自分で見つける必要がありますが、これは英語を自学自習している人にも言えそうですね。
余談になりますが数学や物理で 高校、大学時代には視覚的に学ぶことができなかったために理解に苦しんだ箇所も少なくありませんが、このツールを使えば自分でいろいろなものが作れそうです。
こうしたものを作り溜めて、いずれ英語も含めて、街の子供たちに数学や物理、エンジニアリングの楽しさを伝えたらいいなと思います。