ユウが幼稚園に通いはじめて、早四ヶ月。
少しづつ慣れ、楽しめるようになり、
自分の家以外の居場所を見つけつつあるこの頃。
と、同時に、二人目妊娠直後から始まった激しい赤ちゃん返りも、
ようやく終焉を迎えようとしている。(1年半…長かった)
嬉しいやら寂しいやら…
ほっと一息ついてみると私もいつの間にか、上海に来て四年。
この地で見る二度目のワールドカップ。
上海での生活を始めてすぐにユウの命がお腹に宿って、
それから今までずっとこの子と一緒だった。
パパさえ受け付けない激しい人見知りから始まり、
新しいものへの不安感が人一倍強く、
この子を誰かに預けて何かしようなんて考えられなかった。
必要とされているうちは、ずっと一緒にいてあげよう。
せめて三歳までは手元に置こう。
その気持ちだけで今までやってきた。
が、ユウが昼間家にいなくなって急にぽかんとした。
ハルがいる。でも何か心に隙間がある。
・・・うーん
そもそも私ってどんな人間だったんだっけ。
子は親の背中を見て育つっていうけど、
私は私らしく生きているんだろうか?
子に見せられるような私の姿って?
子を持つ前の自分は確か、
目標を定めてまっしぐらにひた走る人間じゃなかったかな。
仕事を辞め、結婚し、子を持ち、
時間がなくなり、自分自身の目標がなくなり、
いつの間にか「家事」「育児」の中に目標を定めていた。
「家事」「育児」、それが私の仕事。
突然社会と隔絶され、やっきになっていた。
家事はこうしなきゃ、しつけはこうしなきゃ・・・と
よく世間では良い妻、良い母になるためのアレコレが語られるけど、
そもそも家庭に目標を持つべきではないのかもしれない。
家庭とは、家族が外でのそれぞれの役割を終えて、
帰ってきて、リラックスして一息つくところ。
その雰囲気を作るべき私が、
そもそもリラックスしていない。
「呼吸がうまくできていません、深呼吸して」
脈をみた中医の先生が、するどい一言。
慢性的な蕁麻疹はきっとこれのせいだと思った。
家事育児に一生懸命、というのは良いようで、悪い部分もある。
母親が毎日子どものやることなすことに目を光らせ、
いちいち全力で向かってきたとしたら、
子どもだってたまったもんじゃない。
母は忙しく、片目で子どものやることをチラチラっと確認、
目についた時だけ叱る、それくらいでいいのかもしれない。
…家庭でリラックスするために、
何か外に自分自身の目標でも作ってみるか。
やることは別に何でもいい、
ただ、息抜きとか趣味とかの習い事ではなく、
全力で、本気で取り組めることを始めたい。
そう思い立ってすぐにあちこち問い合わせ、
点心師の資格取得を目指す教室を見つけた。
通常の料理教室と違い、資格取得を目標とするため、
毎回の宿題や家庭での復習を経て
腕を熟練させないといけない。
寝る間も惜しんで深夜、早朝と生地をこねる毎日だが、
心が生き返ってきたのが自分でよくわかる。
点心がうまく蒸しあがった時の喜び、達成感。
逆に、失敗した時の悔しさといったらない。
「どうしてうまくいかないんだろう?」
失敗した原因について脳内細胞を総動員させて考え、
どうすれば良くなるのか、試行錯誤をしながら手を動かす。
あぁ、これ。
この悔しいという感覚。
向上したい気持ち。
深く思考する時間。
これが子どもを産む前の自分だったな。
ふと昔の感覚が蘇った、深夜1時。
…
……
………
母というものは、テニスの壁打ちの「壁」ではない。
子どもがボールを打ってきたら自分なりの方法で打ち返し、
変化に富んだラリーを続けられる「人間」であるべきなのだ。
子どもはあらゆるボールを臨機応変に打ち返し、
母の打ち方を学び、成長していく。
「育児」は仕事ではない。
人間と人間、子どもという他者と作る、最小単位の人間関係。
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「これママがつくったあんまん、せんせいにみせるの!」
と、今朝方蒸したあんまんを片手に握りしめ、
バスを待っている間に全部食べてしまい結局見せられなかったが、
とぼけて元気にバスに乗りこむユウ。
座席に座ったユウの顔と、バスの窓に映った自分の顔が重なった。
同じ顔、満面の笑み。
母と子どもは一心同体。
ママが頑張る。ユウも頑張る。
ママが楽しい。ユウも楽しい。
ママが笑顔、ユウも笑顔。
いってらっしゃい。
試作品、続々。
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