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産後エピソード ~むーみんパパの憂鬱~

この人が夫で良かった。
この人が…この子の父親で良かった。

二人目出産後、結婚三年目にして、
自分の選択は間違いなかったと、確信した。


゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


夫と長女ユウが同じ家で暮らし始めたのは、
長女が生後四ヶ月になる頃。

一人目ということもあり心配で、日本で出産したものの、
早く家族での生活を始めたくて、
あまり実家に長居せず上海に戻ってきた。

毎日一緒に生活していれば、きっとすぐに慣れる。
きっとすぐに「家族」になる。
そう簡単に考えていた。

しかし・・・

感受性の強いユウは、四ヶ月から既に人見知りが始まり、
生後間もなくから顔を合わせていないパパを、
当然パパと認識していなかった。

突然上海に連れてきたユウに、
ただでさえどう接すればいいかわからないのに、
そこに人見知りも加わって、パパは困惑していた。

抱っこするも拒否され、
お風呂をお願いしても大泣きされ、
終いには顔を見ただけで泣く始末・・・

その後も一向におさまることはなく、
パパは次第にユウにかまわなくなり、
「家にいても意味ないから」と、休日も会社に行くようになってしまった。

平日も休日もシングルママ状態。
その頃、ママ友達も皆無に等しく、私の心は孤独だった。

ユウの人見知りは、一歳を過ぎた辺りからマシになったものの、
依然としてパパは娘に関心がないようにみえた。
何だか冷たいような、他人事のような・・・

一度できた穴は、簡単にふさがらない。

あぁ、「家族」になるって、難しいんだな。
ようやく現実を知った。

もしも二人目を授かったなら、上海で産み、
最初から力を合わせて「家族」を築こう。

一人でそう決意した。


゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


二人目を妊娠して間もなく、私の心は不安定になった。

原因はわからない。恐らく、妊娠のせいだと思うけど、
今考えると鬱のような症状だった。

子どもを育て、家事をする毎日。

自分の存在は誰かの役に立っているのだろうか…
夫は、自分と結婚し、子どもができた事を後悔していないだろうか…

そんなことが、頭の中をぐるぐるめぐっていた。

つわり期間に数ヶ月日本に滞在し、
実家で大勢に囲まれて賑やかだった分、
上海に戻って突然孤独を感じたのかもしれない。

妊娠中の育児に疲れていたのかもしれない。

この時、初めて、夫に心の中を打ち明けた。

「あなたは幸せ?」

娘に対して愛情がないんじゃぁないか・・・
私たちと暮らしていて楽しいのか・・・

これを言ったら終わりだと内に秘めていたことを、全て話した。

夫の反応は、意外だった。

「ユウは可愛いよ」

あまり口数の多い男じゃないからわからなかったけど、
聞いてみると、私以上に色々と娘の事を考えていたようだ。

ただ、私の育児方法を尊重し、
あまり口出ししないようにしていたと・・・

「あはは、良かった」

一度吐きだすと、何でこんな簡単なことやらなかったんだろと、
思い悩んでいた自分がバカみたいに思えた。

そこから夫は、次第に変わっていった。


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「ユウ、これはこうするんだよ」

夫はあっという間にパパらしくなった。
厳しく優しく、時に大雑把。

彼の教育方法を見ていると、
ご両親に厳しく愛情深く、しっかりと育てられたんだとよくわかる。

さすが同じ血が流れているだけあって、
娘はすぐにパパと気が合い、大好きになった。

むしろ、遊び方は私よりも上手い。

娘は毎日パパの帰りを心待ちにし、
パパが帰ってくると私の方には見向きもしない。

私のお腹が大きくなる頃には、
「入院中も安心して娘を任せられる」と思えるようになった。

周りの話を聞くと、上海で出産する日本人は大体、
上の子は託児か幼稚園に預け、
日本から母方の親を援護に呼び、産後を過ごす。

我が家のように、上の子を家に置き、
親の助けを借りずに乗り切ろうという話はあまり聞かない。

きっと大変だし、仕事のある夫には負荷だろうけど、
この選択は正しいと信じていた。

この頃、変な例えだけど、

「外堀を固めて敵陣を迎え撃つ」という気分だった。

臨月に入るとアーイーを雇い、
夫は出張や仕事を控え、皆で出産の日に備えた。


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次女を出産し、私は一人で入院。
夫とユウの二人だけの生活が始まった。

私とユウが一日離れるのは初めてだし、
夫とユウが二人だけで一日過ごすのも初めて。

初日、ユウを連れて病室を訪れた夫は、
産後間もなくの妻をおいて、
すぐにソファーで寝てしまった。

やれやれ・・・と思ったけど、
初めての一人育児、余程疲れたんだろう。

普段飛行機で中国中を飛び回っている男でも、
子どもを一日面倒見るというのは相当くる。

口を大きく開けて眠る夫に、
パパお疲れ様、と、心の中で静かに讃えた。


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私が退院すると同時に、ユウの情緒不安定っぷりは一気に加速した。

娘の側を少しでも離れると大泣きされ、
お茶を汲みにいくのも、トイレに行く事すらままならなかった。
究極の後追いとでもいうべきか。

ベッドに寝ることなんてもちろんできないし、
ソファーに横になるとユウに怒られ、
終いには床に寝ころびながらユウと遊んでいた。

このままでは産後の後遺症が残りそう・・・

と、これを見かねた夫は、
仕事から帰ると深夜近くまでユウと遊び、
夜泣きにも付き合い、なだめ、
休日には家事を手伝い、娘を一日外に連れ出す。

夫は文句をいわず、ただ嵐が過ぎるのを待つように、
娘からの無理難題にもくもくと応えていた。

ただ・・・

「いつまで続くのかな。」

娘たちが寝静まった後ぽつりと漏らしたこの台詞に、
夫の疲労が集約されていた。

上海で産み、育てる・・・
この選択は間違っていたのかな?

迷いが出た・・・一瞬。


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産後三週間が過ぎ、私は毎日ユウを連れて二人で外に出た。

娘の表情はどんどん明るくなり、
生活リズムも元に戻り、心も安定してきた。

お腹が大きくなる前の、元気なママが戻ってきた!
きっと娘にはそう感じられたんだろう。
ママだけがユウの心を支える一本柱だったのだ。

が、ママがいなくなった数日で娘自身、
ママばかりに頼ってはいけないというのを実感したらしい。

私の不在は娘の心を不安定にしたけれど、
その分父子の関係は強くなった。

娘の心がこんなに早く落ち着いたのは、
私も頑張ったが、それ以上に夫が徹底的に娘に向き合ってくれたこと。
そこにあると思う。

ありがとう。
本当にありがとう。

これほど頼りになる存在はいない。

ユウが赤ちゃんの頃は一時間預かるのだってビクビクしていたのに、
今では嘘のように堂々としたもんだ。

「愛の狙い通りになったねぇ」

・・・と笑いながら。

私は策士なのか?
褒め言葉として受け取ることにした。

産後三ヶ月になる今では、
夜に信長の野望をプレイできるくらいの余裕。
よかった、よかった。

むーみんパパよ、これからもよろしくね。




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