だんだんと過去のものとなりつつありますが、夏の甲子園大会では千葉君のカット打法がだいぶ話題となりましたね。
海外にいる私は彼の打席を直接見ていませんでしたが、ルールに則っているのであれば善いじゃないかと、どちらかといえば擁護派でした。体の小さい千葉君が、ある意味、彼だけしかできない技術を身につけたという賞賛の気持ちもありました。
ただ、彼の打席をいくつかYoutubeで見た後、本当にそうなんだろうかと思うようになりました。相手の投げたのボールをどれだけ打ち返せるかという野球本来の姿を明らかにはずれ、ファールを打つことが主目的になっています。
おそらくこれをアメリカでやると、アメリカ人にはひどく不評なのではないだろうか、アメリカだけでなく、WBCに参加する国々を含めて、けっしてグローバルに通用する光景ではないのではないだろうかと。
楽天の優勝における星野監督についていくつか記事を探していて、たまたま広澤克己さんの記事が目に留まりました。アメリカ人に訊いた訳ではないのであくまでも憶測の域を出ていませんが、おそらく上記の私の疑問が説明できるのではと思いました。
今日では野球殿堂の建物があり、殿堂入りした人物は永久にこの施設の中でたたえられる。米国人にとってクーパーズタウンは野球をする者の聖地であり、ダブルデー氏は野球の神様的存在だ。
(中略)
ゴルフをプレーされる方なら一度は聞いたことがあると思うが、「そもそもゴルフとは紳士のスポーツなんだ」というフレーズがある。これを野球に言い換えると「そもそも野球とは正々堂々と男らしく戦うスポーツなんだ」ということなのだ。
意図的にファウルを打って相手投手のスタミナを奪ったり、フォアボールを狙ったりということは、野球の草創者ダブルデー氏からみれば「なんて、男らしくないんだ」ということになる。
広澤氏のほか、多くの人が指摘していますが、 これは千葉君のせいではなく、指導者を含めた周りの大人たちに責任があるのだと私も思います。
私自身は教育者、指導者ではありませんが、翻って子どもたち、そして自分を見た場合に、どうでしょう。
私や子どもたちは、自分の専門、英語を含めたいろいろな仕事上の、そして生きていくためのスキルや情熱でグローバルにやっていけるのでしょうか? 英語や情報処理も含めた資格試験を通して自己啓発することは、もちろん手段としては大切ですが、それが目的あるいはゴールになってしまってはいないでしょうか?
携帯電話だけでなく、自分自身の生き方が矮小化して、ガラパゴス化していないでしょうか。
まだ吹っ切れていないところはありますが、自分自身そして子どもたちを省みる上で、いろいろと考察する良い機会となりました。