アメリカで暮らしている方なら、
12年前の今日、アメリカ同時多発事件(9.11)が
起こった時、自分が何をしていたか
今でも鮮明に記憶しているのではないだろうか。
私もその1人。
2001年8月の始めに息子を出産し
マタニティ休暇中だった私は、
上の娘を学校に送って行った後、
当時住んでいた家のリビングルームのカウチに座り、
1ヶ月になったばかりの息子を抱っこしながら
朝のニュースを見ていた。
そこで入った緊急ニュース。
最初は、操縦ミスかな?と思って観ていたが、
その内、二機目の衝突が報道された。
そこで、事態の深刻さに気が付き、
その後一日テレビに釘付けだった。
その時、息子は生後5週間。
30代半ばでの出産そして産後は予想外にきつく、
産後6週目に日本から母が来るのを指折り数えて待っていた。
何故産後6週目かというと、
出産後すぐに手伝いに来てもらうことも考えたが、
私が7週目に仕事へ復帰する際に
母に家事を手伝ってもらえたら助かるのではと考えたため。
息子を託児所に預けるのを1ヶ月遅らせたいの思いもあった。
寝不足でボロボロだったけれど、
もうちょっとで、お母さんが来る!
というのが私にとって馬の鼻先のにんじんだった。
結果を先に言えば、母が来ることはなかった。
母は、旅行代理店から事件直後何回もの
「本当にこの時期にアメリカに飛ぶのですか」という
確認の電話(夜中にもかかってきたそうだ)に悩み、
渡米を諦めた。
今考えれば、事件の翌日から他の飛行機にてのテロは
なかったが、その時は、まだ何が起こるかわからない状態。
その連絡が母から来たときに、
私は、頭ではわかっていても
妊娠中からずっと楽しみにしていた母の訪問が
なくなったのは本当にショックだった。
多分、これが産後うつの始まりだったかもしれない。
結局、息子を預けることになっていた託児所に
事情を説明し、早めの受け入れをお願いし、
旦那にも協力を請い、何とかなったが、
今思い出してもちょっと悲しくなる。
こんなことだったら、
生まれてすぐ手伝いに来てもらえばよかった。
こんな悲しみなんか、事件で家族を亡くした人のそれに
比べたら、本当にちっぽけなんだけど。
今朝出勤したら、
9.11事件で最初の飛行機が世界貿易センターに
衝突した時間で止められた時計と、
「Never Forget 9.11」の小さなポスターが通路に飾ってあった。
私の隣のキューブの同僚が持って来たという。
私も3.11と同じように、この事件は生きている限り忘れないだろう。
この事件で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。
ランキング参加中!
一日一回どちらかにクリックして頂けると励みになります!
にほんブログ村
にほんブログ村
海外赴任時に必要な予防接種や健康診断が可能な全国のクリニックを紹介しております。