先週、娘の部屋を片付けるのを手伝っていたら、
ずっと行方の知れなかった、
彼女のテディ・ベアが出てきた。
彼女の部屋のクローゼットの片隅にいるのを
私が見つけた。
何かと混じって捨てられちゃったのかもと
諦めていた私たちは、2人して、ここにいたのー!
と叫んでしまった。
見つかったベイビー・ベア
ちょっと親として恥ずかしいのだが、
彼女の部屋はいわゆる汚部屋。
今は、まあまあ、片付いたので汚部屋だった、
というべきか。
彼女は、若さゆえの怠惰の結晶、とか
言っていたが、はっきりいって
足の踏み場もなかったあの部屋は、
汚部屋以外の何でもなかった。
テディ・ベアの話に戻す。
そのベアは娘がまだよちよち歩きの頃に
実家の側のヨーカドーに入っていた
サンリオ系のお店で買った。
まだビーニー・ベイビーが発売される前だったが、
あんな感じでのぬいぐるみで、私が一目ぼれしたのだ。
ふさふさしてなく、取れてしまいそうなパーツもついていない。
まだ、小さい娘には最適だ。
娘が話すことができるようになると、
彼女はそのテディ・ベアにベイビー・ベアと名づけ、
寝るときはベアを抱き、指をしゃぶりのが習慣になった。
また、彼女はどこに行くときも常にベアを持ち歩いた。
そのベアは時々レストランや、スーパーに置き去りにされたが、
その都度、私は車を走らせ、探しに戻った。
次に日本へ里帰りした際は、
ベイビー・ベアをなくしてしまったときのためにと、
2つ買ってストックしていたのだが、
その次に日本へ帰った際は
最後のひとつを残すのみとなっていた。
その里帰りの間に、娘を連れて、
アメリカから来ていた友人を東京案内に
連れて行ったのだが、
娘は、ベアをよりによって渋谷でなくしてしまった。
行ったお店やレストランを辿ってみたが、
やはり見つからず、また買いに行こうね、
と泣きべそをかく娘を言い含めて実家へ戻った。
その晩、3歳の娘は、ベアがないと眠れない、とぐずぐず泣き、
泣き疲れてやっと寝た。
次の日、ヨーカドーへ行ってみたが、
そのテディベアはもう置いていないという。
それ以来、外出する度に、
必ずおもちゃ屋に立ち寄るのが習慣となった。
そして、全く見つからないまま、帰国の日が近づいてきた。
娘は、ベアなしでも眠れるようになっていたが、
私は、執念のハハと化し、
何としても見つけてやる!
と燃えていた。
こうなったら、メーカーへ直接問い合わせてみよう、
と思ったが、どこのメーカーが作ったかなんてわからない。
そこで、思い出したのが、
義理の妹(アメリカ人)の子供に同じタイプのぬいぐるみを
前回の里帰りのおみやげにあげたこと。
早速、妹へ電話し、そのぬいぐるみのタグに
何と書いてあるか読んでもらった。
その名前は失念してしまったが、
幸運にも英語で書いてあったので妹に教えてもらうことができた。
次は、電話番号を調べる。
当時はインターネットは普及していなかったので、
104(電話案内)へかけ、会社名を告げ、電話番号をゲット。
まったく、ぬいぐるみごときに、何やってるんだろう、
という思いがちょっと湧き上がったが、
ここまで来たら、ゴールは見えたようなもの。
そして、間髪おかずメーカーへ電話。
そこで商品担当の方とお話しができ、事情を伝えた。
だが、彼女は、申し訳なさそうに、
私が探しているぬいぐるみは製造中止になったという。
なるほど、店で見つからなかった訳だ。
娘にはかわいそうだけど、
諦めないといけないな、と思っていたら、
彼女はとても親切な方で、
倉庫にもしかしたら在庫があるかもしれない。
確認して折り返し電話する、とおっしゃる。
そして待つこと小一時間。
電話が鳴る。
受話器をとる震える手(大げさ)。
すると、彼女の鶴の一声が。
在庫3つだけですが、ありましたよ。
まさに、ハ―レルヤ♪の瞬間だった。
全部買い取ります!と意気込む私。
彼女はどこまでも親切で、
ベアを代引きで送付してくださるとおっしゃった。
3つのベアは無事に翌々日に実家へ届き、
こうして、私のクエストは終わった。
その後も、彼女は2つのベアをなくし、
ひとつだけ残っていたベアが2、3年前から
行方不明になっていたのだ。
彼女は、20歳になり、もちろん指をしゃぶるわけでもなし、
ベアがないと眠れないわけでもないが、
私が離婚後、ずっと寄り添ってきた何代ものベアは
彼女の宝物。
この間、ふと彼女の部屋を開けてみたら、
ベアが枕の上に乗っかっていた。
ずっと、うちにいたんだね、
もう、いなくならないでね、
つぶやいてドアを閉めた。
(ていうか、娘よ、汚部屋はもう勘弁してくれ...)
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