サンパウロに来てから、ずっと行ってみたいと思っていた場所へ行って参りました。
サンパウロの「東洋人街」リベルダージにある、
ブラジル日本移民史料館
R. Sao Joaquim, 381 -Liberdade
Tel:(11)3209-5465・3208-1755 -ramal 117
(日伯文化会館内)
1908年(明治41年)に始まり1973年まで続いた日本からの移民の方々の、ブラジルでの歩みが詳しく紹介されている資料館です。
日本は移民開始当時、主に農村などから、ハワイや北米に続き、
アフリカからの奴隷を労働力としていた「奴隷制」が廃止になって(1888年)以来コーヒー農園などでの労働力不足に悩んでいたブラジル
へ、移民を次々と送り出していったそうです。
今のブラジルはとても寛容で開放的で、世界でも稀と言ってもいいほど、一般の人々の間での差別意識がない国ですが、
ポルトガルからの植民地支配から独立し奴隷制を廃止したばかりの当時のブラジル
に移り住んだ日本人の方々のご苦労は、想像するに余りあります。
*他の国の移民たちが、あまりの過酷さに次々と逃げ出すなどして定着しなかったという状況の中での、日本人移民開始だった、ということも書かれていました。
その上、お金を貯めたら日本に帰る「出稼ぎ」のつもりで旅立ったほとんどの方が、現実には帰国の旅費どころか生きるにも困窮するような過酷な状況におかれたということも…。
資料館の中では、
移民船や移住先の農園の様子を映した写真や、手作りの道具の数々、
それに、当時の日本人移民の方々の標準的な住まいも再現されていて、
その横にはブラジルの野生動物(ピューマやワニなどの猛獣まで!実際に目の前に現れたら相当な恐怖だと思います…)の迫力あるはく製の展示があったりして、
日本とは何もかも違う南米・ブラジルの地で、懸命に道を切り開いた移民の方々の姿を垣間見ることができます。
そして数々の困難の中でも、圧倒的な努力と知恵で様々な分野(農業・商業分野ではもちろん、政治・経済分野、弁護士、学者、そして医師もとても多い!)へ活躍を広げ、
ついには人々から信用と尊敬を込めて
「Japones Garantido(ジャポネーズ・ガランチード:信用できる日本人)」
とまで言われるようになったブラジルの日本人・日系人の方々。
*その勤勉・優秀さから、「難関大学の入学試験に合格したかったら、隣の日本人が試験を受けられないようにすることだ!」というジョークまで生まれたとか。(ノ゚ο゚)ノ (以前聞きかじったお話ですが…)
苦難と成功の歩みを知るごとに、畏敬の念に打たれるばかりでした。
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