海上自衛隊横須賀基地に行きました。
横須賀基地から横須賀市街方向を見たところ。
横須賀には娘夫婦がおりまして、先のご両親にご挨拶
ご両親には「泊まっていってください、娘のところなんんだから遠慮なんかいらないから」と有難いお言葉
そうはいってもスーパーマーケットと食品の卸業で夜遅くまでお忙しいお宅なのでそうもいかずそうそうに帰ってまいりました。
「特務艇はしだて」です。
この船は迎賓艇で簡単にいえば主に海外からこられたVIPを歓待するのが目的の船
他には震災などのとき衛生隊の医師や看護師が乗り込みいわば災害救助船となります。
「はしだて」の隣の船は「水中処分母船YDT03」
水中処分とは主に太平洋戦争のとき米軍によって日本の主要な港にばら撒かれた機雷や、旧日本軍によって遺棄された砲弾などが発見された場合爆破処理すること。
10数年前には神戸港で大量の砲弾が発見され爆破処理されましたね。
「はしだて」の甲板
VIP用の食事を作るのも給仕するのも海上自衛官
そのためこの船の乗員のうち給仕係は帝国ホテルで研修するんだとか・・
私がこの船の乗員になれなかったのは顔かお調子者の性格のせいかと思います。
海上自衛隊の船には船によっていろいろな任務があるもんですね。
こちらは多用途支援艦「AMS4305えんしゅう」 所属は横須賀地方隊直轄
この船は護衛艦などの各種射撃訓練の支援の他、消火・救難・離島に対する災害派遣など多目的に使用するという任務を持った船です。
艦尾の自衛艦旗は朝8時に掲揚し日没時降下します。
このときは在艦者は後甲板に整列し挙手の礼をします。
このとき思うのは人それぞれですが、私はよく”この旗のお陰、この旗のお陰”と思いながら見上げていましたね。
現役のとき見慣れた光景がとても懐かしく感じられます。
私の現役の時の仕事は機関科で船の底の部分が仕事場
機関科員は無口な人が多く、私も喋るのが苦手、面倒だという方でした。
更に海上自衛隊しか知らない世間知らず。
あるときこのままではいけないなと思い民間の人を相手に仕事をする地方連絡部の広報官を希望しました。
希望者が少ない部署なのでほどなく転勤が決まり宮城県へ。
広報官といえば格好よさげですが、ようは高校や中学校、市町村役場、一般家庭を訪問して「自衛隊に入りませんか」というブローカーみたいな仕事
そこで8年間勤務させてもいただいたおかげですっかりお喋りに、それも後で思うと意味のないことをだらだら喋るようになってしまいまして・・・
船を眺めながらあのまま船に乗ってりゃ良かったなとつくづく思いました。
船を一通り眺めた後、年金受給手続きのため防衛省共済組合横須賀支部へ。
申請書類に特に問題となることはなかったのですが、、、
「振込先はCIMB BANKという銀行ですか・・・」係りの事務官の女性は聞いたことないなあ・・・という表情
「マレーシアの首相の弟さんが頭取だったか重役だったかやっている銀行です」
「あっ、そうですか。それじゃメジャーな銀行なんですね」
メジャー、か。
「この銀行に年金の振込みが可能か一応確認してみますが、九段合同庁舎の国家公務員共済組合連合会に問い合わせてみますが返事が来るまでに1週間はかかると思います」
1週間!
なるほどそこは一番重要なところだから確認しとかないかんわなあ。
それにしても、1週間とは長すぎないか。
1週間も待ってられないので上野の日本年金機構に確認しに行きまして、振込み実績を聞きましたところ「今まで50例ほど振込み実績がある」ということなので横須賀の防衛省共済組合横須賀支部にはそのまま手続きをしてもらうことにしてもらいました。
それはそれとして一点取り寄せないといけない書類があったので次の日九段の国家公務員共済組合連合会へ。
ついでにCIMB BANKに振込み出来るか確認したところ、翌日電話で返事がありまして「今時点で言えるのはおそらく大丈夫であろうということです」というアバウトなお返事
国家公務員共済組合連合会での用事も終わって、折角なので周辺散策
腰が不調でしたが動かないとかえって良くないので歩くことにしました。
日本武道館です。
前回ここに来たのは14年も前のこと。
息子の大学入学式が行われたのがここ。
国家斉唱はなかったです。
それが普通なんでしょうかね。
続いてすぐ近くの靖国神社
ここはもう20年ぶりくらいでしょうか。
大きな鳥居に圧倒されます。
あまり好きではない将官だった人も合祀されていますが純粋に国のためを思って戦地に赴かれ亡くなった方のために参拝しました。
事実上日本陸軍の創始者、または日本陸軍建設の祖と言われている大村益次郎の銅像 この場にふさわしい銅像だと思います。
平日の午前中とあって閑散としていました。
こんなに小さな神社だったか・・・・・
「土曜、日曜と大阪出張になったので今日顔出すよ」
昨日息子から電話があり日は息子がやってくることに・・・
明後日は横須賀の叔母のところに一泊
マレーシアに戻る日も近づいてきました。
おわり