ところで、オウロ・プレットを語るうえではずせない有名人が2人います。
*先日から書いておりますオウロ・プレット旅行記の続きです。前の記事は↓です。
『ブラジル世界遺産「オウロ・プレット」の景色と美味』 リンク→★
『ブラジル世界遺産「オウロ・プレット」の金と宝石』 リンク→★
一人は、「ミナスの陰謀」と呼ばれるブラジル独立運動を起こして処刑されてしまったチラデンチス。
*「歯抜き」という意味のニックネーム。本名はジョアキン・ジョゼ・ダ・シウヴァ・シャヴェール(Joaquim Jose da Silva Xavier)。オウロ・プレットの近くの街出身だそうです。
その革命は失敗に終わりましたが、ブラジル独立の英雄として、祝日(4月21日チラデンチスの日)が作られたほどの重要人物です。
被植民地の歴史を持つ国では、「独立」は時を経ても格別な意味があるのですね。
↑彼の棺や関係資料などが展示されたインコンフィデンシア博物館(一番奥の建物)の前には、彼の名を冠した「チラデンチス広場」が。
もう一人が、この街出身で“ブラジルのミケランジェロ”と言われるほどの天才彫刻家・建築家の
アントニオ・フランシスコ・リスボア(Antonio Francisco Lisboa ニックネーム「アレイジャジーニョ」が有名)。
ポルトガル人建築家の父とアフリカ系奴隷の母との間に生まれた彼は、
病に手足と視力を侵され、ノミを握ることも歩くことも困難な身体で、
その特別な才能を、数多くの教会建築や彫刻に発揮しました。
ゴールドラッシュの富がわんさと教会に注がれ、どんどん建立された時代です。
*「アレイジャジーニョ」とは、病気になった彼の外見からつけられた「小さな障害者」という意味のニックネームだそうですが、本人は気にして昼間人前に出ることを避けていたという記録もあるそうです。今ではありえない呼び方です…。
オウロ・プレットの美しい景観は、今も街中に残る彼の教会によると言って過言ではありません。
彼の作品の最高峰としてオウロ・プレットで最も有名な教会が「フランシスコ・ジ・アシス教会」。↓
↑小さいながら美しい!『地球の歩き方「ブラジル」』の表紙の絵がこちらの教会を描いたものだと、今回知りました♪
そんなアントニオ・フランシスコ・リスボアの父親が建築したというこちら↑の「コンセイサオン教会」で、
私たちの旅行最終日の4月8日日曜日、復活祭のパレードが行われていました。
何も知らずに朝ホテルから街に出ると、一晩のうちに通りがどこもかしこもカラフルな絵や模様に激変していたのにびっくり。
↑各色に染めたおが屑を絵具代わりにして描かれています。
しばらくすると、先頭に可愛い天使たちと、それに続いて聖書の登場人物に扮した人々やら演奏隊やらの、ものすごい人数の行列が現れ、
街中を巻き込んであちらの大通りからこちらの路地へと練り歩き、教会を目指して行きました。
リオやサンパウロの大都会では見ることのない光景に、
敬虔な人々によって美しい教会が受けつがれているからこそ、
古都オウロ・プレットが今も変わらず人々を惹きつけるのね、と思ったりいたしました。
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