今はただただ旅行者の目を楽しませてくれるオウロ・プレットの街の美しさですが、
その歴史を考えながら見ると、少し印象が変わってきます。
*こちらは、昨日の記事『ブラジル世界遺産「オウロ・プレット」の景色と美味』→★の続きです。
以下は本などで読みかじったオウロ・プレットの歴史ですが・・・
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何もない山地の小さな村だったオウロ・プレット(当時ヴィラ・ヒッタ)は、
植民地時代の1693年に金鉱脈が発見されると、とつじょゴールドラッシュに。
ポルトガル本国からも人々が押し寄せ、人口12万のブラジル最大の街(同時に北南米一)に成長しました。
鉱山主となった特権階級たちは富を得て、競って豪華な邸宅や教会を建てました。
辛い仕事をさせるために大量の奴隷を売買し、ブラジルの奴隷市場を活況にもしました。
でも一方では、この金を当てにする本国ポルトガルから、鉱山主たちは特に厳しい統治も受けていました。
だんだんと金が採れなくなってきてもなお強化される重税に反発を強め、
1789年、ついに本国からの独立を目指す動きが起こりましたが、密告によりメンバーは逮捕され、
一人(チラデンチスという名で有名)が処刑されました。
それが、のちに実現するブラジル独立の先駆けとなりました。
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・・・という100年ほどの間、ブラジルの中心にあった街なのです。
こんな小さな街が!?・・・と思ってしまいますが、当時はさぞ活気と豊かさを誇っていたのでしょうね。
*現在の人口は約7万人
そんな元金鉱の街で、中心地からバスで10分くらいのところにある鉱山跡「ミナス・ダ・パッサージェン(Minas da Passagem)」も見学してまいりました。
遊園地のアトラクションのような乗り物に乗り、坑道の中へ。
*案外スピードが出て、ヒヤヒヤ。
見学した部分はそれほど狭い坑道ではありませんでしたが、それでもかなり暗く圧迫感が。
今でも、なにか金属のような小さなキラキラしたものが混ざった岩の層が見えましたが、
*金は採り尽くされ、もうないそうです。
当時はどこにあるか分からない小さな小さな金を見つけるため、とにかく岩を砕いて坑道から外に運び、
明るいところで選り分けたそうです。
実際に働かされていた奴隷の人々は2~5年くらいしか寿命がもたなかったとか…。
そんな金の街オウロ・プレットのあるミナス・ジェライス州は、いまでもさまざまな鉱物の産地として有名。
そして宝石の産地としても!
*サファイアとルビー以外は、ダイヤモンドをはじめほとんどすべての石が採れるそうです。
参考までにあるお店でお値段を訊ねてみたところ、
ミナス・ジェライスでしか産出しない希少な「インペリアル・トパーズ」のピンクカラーのジェムのみで
1カラットあたりのお値段は、約3400レアル(=約15万3千円) とのことでした。
*交渉後にはもっと下がるはず!?
メインストリートではレストランよりも宝石のお店の方が多いくらいで、
しかもどのお店もショーケースに大きな石がゴロゴロと無造作に並べられていたりして、
金に代わる輝きを存分に放っておりました。
↓元鉱物学校だった建物が、鉱物学博物館になっています。大量の宝石と原石の展示が圧巻!思わずテンションが↑(^o^)
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