年末のサンパウロからペルー・マチュピチュへの旅について、5日間に渡り書いておりますが、
まだ旅2日目朝の出来事までしか到達していなくてすみません。。。
*しかもほとんどがアクシデントについて…(涙)
*昨日までの記事です。
1.「サンパウロからペルー・マチュピチュ…欠航で始まった旅」 リンクはこちら→★
2.「サンパウロからペルー・マチュピチュ…諦め続けた空港」 リンクはこちら→★
3.「サンパウロからペルー・マチュピチュ…信頼の旅行会社」 リンクはこちら→★
4.「サンパウロからペルー・マチュピチュ…リマの美味」 リンクはこちら→★
5.「サンパウロからペルー・マチュピチュ…まさか食中毒!?」 リンクはこちら→★
が、そんな2日目はクスコ市街(世界文化遺産)を観光し、アンデスの空気とインカの歴史を感じてまいりました。
実は、今回の旅でマチュピチュの遺跡と同じくらい感動した、クスコ市街。
まさに「アンデス」と聞いて思い浮かべるイメージ通りのエキゾチックな
人々・街並み・山々・色使い・食べ物・動物…がたくさん。
頭の中は常に「コンドルは飛んでいく」のケーナの音色がグルグルでした(笑)
ところで、恥ずかしながら今回初めてアンデス地方の歴史について勉強いたしましたが、
その最も栄えた「インカ帝国」とは、
現在のペルー・クスコを中心とし、ボリビア、エクアドル、コロンビアの一部やチリの半分まで含む地域で
1438年~1533年(スペイン人に滅ぼされるまで)の100年間ほど栄えた帝国で、
その前身となるクスコ王国(ケチュア族により1200年ごろ成立)を含め、アンデス文明の中で散らばっていた諸王国をまとめて作られた最後の先住民国家
だそうですね。
インカ帝国って思ってたより近世なのね…と思ってしまった次第ですが、
*日本の戦国時代、織田信長が出てくる直前の頃。
以前私が「インカ帝国(インカ文明)」としてイメージしていたものは、
紀元前の昔からこの地域に興こりはじめた広い意味での「アンデス文明」の、いろいろな時代をごちゃ混ぜにしていたもの
だったようです。。。
↑街の中はこんな石畳の細い道が多くて入り組んでいました。
↑スペイン人が、インカ帝国のコリカンチャ(太陽の神殿)を壊して建てた、サント・ドミンゴ教会。今はインカ時代の博物館になっていて、当時の暮らしや技術、宗教・思想などが学べます。
今回、先住民ケチュア族の血を引くガイドさんからいろいろな説明を伺って、
前文明の遺跡の石積みに残る、現代でも真似できないほど高い技術力や、
それを全て壊してスペイン式の文化を植え付けようとした征服者たちの歴史を知り、
また、それでも先住民の生活・文化がそのまま残り続けた希少な地域だということも知り、
*ブラジルでは、アマゾンの一部を除いて、先住民の文化を見ることはほとんどできません。
クスコのエキゾチックな魅力がすこし分かった気がいたしました。
↓スペイン様式の教会が街の中心広場に。スペイン人は征服後、街の全てをこんな風に作り変えてしまったそう。でも、そんな街並みと先住民の人々の姿が相まって、クスコのエスニックな風景ができたのですね。
↓地震も多いため、石組みの内側にカギ状の段差をつけ、揺れてもズレないような計算もされていたそう。実際、数度の大地震でも崩れずに今に至っているそうです。すごい!
↓有名な、12角の石。全ての角と辺が隣の石とぴたりと合っています。石を正確に削る技術がすごい!
↓インカ時代からある道。右側の建物はスペイン方式で建てたので、石の隙間が漆喰で固めてられていますが、左の建物の石組みはそれより古いインカ時代のものなのに、つなぎ目がピシッ!なんだか民族性の違いを感じます(*_*)
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