実家の前の道です。
この日の朝の気温はたぶん氷点下10度くらい。
朝起きてすぐは頭も凍っているので台所兼居間の薪ストーブの熱で解凍してからでないと活動できません。
日が昇って暖かくなってから実家で飼っているポチを散歩に連れて行きました。
ある日45年も我々の同級会の会長をやっている同級生がやってきてそう言いました。
会長は未曾有の大災害の爪跡を一人でも多くの人が、自分の目で見て記憶にとどめておく必要がある。
あちこち話が飛んで聞いている方が訳が分からなくなる会長の言うことにはそういう想いがこめられていたようです。
「おお、有難い、連れて行ってくれ」
そんなわけで昨日行ってきました。
朝7時半迎えに来てくれた会長の車で出発
途中から高速に乗ると料金はただ。
「ほれ、今、岩手県と宮城県、福島県は高速道路無料なんだよ」
東日本大震災以降、岩手、宮城、福島3県の高速道路が無料化されました。
復興のためとてもいいことですが、高速道路の無料化で多くのトラックが一般道から高速に流入している上、瓦礫を搬送する業者が不慣れなため、がれきの積み方が甘く高速道路で落下物が前年比で2倍になり、それに伴って事故も急増しているそうです。
そんなわけで約1時間で仙台市宮城野区蒲生に到着
仙台市宮城野区が蒲生
100mほど行くともう海というところの写真です。
目の前にはテレビの四角い映像で見たものと同じ光景が、映像とはまったく違った悲惨な光景として目に飛び込んできました。
「見ろ、テレビなんかでは復興が進んでいるように言ってけどや、瓦礫はだいぶ片付いたけど、まだまだこれがらだあ」
会長が言いました。
津波に耐えた松の木も塩害ですでに枯れはじめていました。
「だいたいな支援金と義捐金、これは別なんだそうだよ。 支援金で瓦礫を片付けるんだけんど、その支援金が来ないんだそうだ。 国会議員はいったい何やってんだってんだよ。」
会長が言っていることがどこまで正しいのかは分かりませんが、土建会社に勤務し道路などの補修にあたっている会長がいうとおり、震災後9ヶ月の現状にしては復興は遅々として進んでいない。
そう見えます。
瓦礫の山
一つ一つ手で分別して処理する気が遠くなるような作業が待っています。
ポッと来て写真など撮っていいのか。
私はそんな思いもありましたが、復興はまだまだ、会長の言うとうり被災地の現状を少しでも伝える必要があると思います。
被災地の現状を知っていただいて理解を深めてもらいたいと思います。
昨年5月11日
私は秘かにマレーシアから3ヶ月チケットで来日し、ボランティアに参加しようと東京で用具を揃えていたところ、ぎっくり腰になって断念しマレーシアに帰りしました。
瓦礫の山を目の前にしてそれが残念でした。
「ボランティアもなあ、何も支援がねえもんだべ、ボランティアやってや、夜になっと寝袋持ってきて体育館みでな床で寝でや、資金がなくなっと帰っていくだったもなあ。ありがだいっちゃ。あだまさがる」
会長が言うとおり被災地の人々はボランティアに大変感謝しています。
そのボランティアもだんだん少なくなっているそうです。
1階部分をベニヤ板やシートで覆った無人の家並み。
中には2階部分に住んでいるところもあるということです。
七北田川です。
この川を溢れて津波が駆け上ったそうです。
今は何事もなかったように流れていきます。
この一面の田んぼ
「今度田植えができるのは何時のことになっかわがんね。 海水被ったがらな。ほだがら、今な、県の方がら田んぼ増やせって指示がきてんだどや。 そんでも、はいそうですかってわげにいがねっちゃ」
それはそうだ、休耕田は草ぼうぼうですぐ田んぼにはできないし、農業従事者も不足している。
「机の上でばり考えでいる連中はいいもんだ」
ここは一面まっ平らの平野です。
温かい暮らしがあったはずのこの家も、何時になるか分からない取り壊しのときを静かに待っています。
「ローンはよ、帳消しだそうだけんど、また借金して建てなおさなげねべ、そいずは自分もちだがらなあ」
電柱もずいぶん倒れたり傾いたりしたそうですが、ほどなく新たに立てられたそうです。
「電気は宮城県では俺だずのところが一番遅がったんでねがな。電気こねがら、ろうそぐ点すてや、何年も前のろうそぐな、ろうそぐは何年でももつんだな。 その辺の店では売り切れだがら葬儀屋さ買いに行くのや。ご飯も炊がいねっちゃ。 3月で雪ふって寒くてなあ。おら家では息子が福島から石油ストーブ持ってきてな。夜は孫抱いで寝んのっさ」
ここは仙台港に近く物流の拠点でもあるようですが、その集積倉庫もこの無残なまま。
「宮城県にはトヨタ自動車の工場あるっちゃ、ここのモータープールっつうの? そこにあった新車5千台が駄目になってしまったのやわ」
5千台 !?
仙台港にはちょうど北海道からフェリーが入ってきていました。
「見でみろ、海面はもっと下だったんだど。 地盤沈下したんだ」
海上自衛官だったころ乗っていた船がこの岸壁に横付けした事がありますが、確かに海面はずっと下だったような気がします。
はるか仙台の方向を見てみました。
見づらいですが陸上に大型船が乗り上げそのまま解体されています。
あらためて津波がいかに凄まじかったかと思います。
松島に向かう途中で見た建物
この建物の屋根に津波に運ばれた漂流物が付着していました。
津波はこの屋根の上にまで達したもののようです。
ここなあ、震災のとぎこの製油所のタンクから火の手があがってなあ、テレビで見ねがったが?」
ああ、あの火災はここだったのか。
行く先々に瓦礫の山があります。
松島に向かう途中
「松島は島が多いがら、それが天然の防波堤になって比較的津波の被害が少ながったんだな」
テレビで見ましたが震災の爪跡は驚くほどありませんでした。
石巻市に到着
見渡す限り瓦礫、瓦礫です。
「これがなあ、熱持ってたまに火がでんのや」
この平らな土地は以前は何だったのか。
瓦礫で一番困るのはこの漁具の瓦礫
ロープや網が絡み合って処理が難しいのだそうです。
だんだん話す気力がなくなっていきます。
こちらは袋に入れられて並べられた瓦礫
後でひとつひとつ開封して分別するのだそうです。
「この袋がなあ、中国製で弱くてなあ、中さ入れで積んでおくと劣化して破けんのだそうだ」
会長が本当に困ったようにいいました。
何もない平坦な土地
ここにはかつて家が立ち並んでいたそうです。w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
w
wwwwwww