こんにちは。
今日は全力で2つの英語クラスを開催しました。
両方とも初級者~上級者まで、レベルはさまざまですが
みなさん英語クラスに来るということは「自分の英語に問題がある」
と考えているということ。
みなさん口を揃えて言うのが「ネイティブの人と話せない」。
もうお約束のキーワードとなっております
その中で感じたのが、
「間違ったことを言うのがこわい、恥ずかしい」
「私なんかの話を聞きたいのだろうかと思う」
という、とても自己評価が低いこと。
みなさん、よく考えてください。
例えば日本で、あなたがお友達と日本語でお話ししている
ところに、外国人の人が来ました。
ペラペラ流暢で、正しい文法の日本語を話すことを期待しますか?
「は」と「が」がめちゃくちゃだと、気になりますか?
一番気になるのは、どれだけ話の内容が魅力的ということですか?
そうじゃなくて、その人が日本語で話す日本人グループの中に入ってきてくれて、
そこで日本語で話しかけてくれて、単語のつなぎ合せだけだとしても、
なんとなく何を言おうとしているかわかるだけでも「すごいな!」と嬉しくなりますよね?
つまりはそこなんです。
私も例外ではなく、多分私たちが育った教育過程で「正確であること」
が求められていたから、どうしても「正しくないと!」な気持ちが勝ってしまいます。
でも、会話はキャッチボール。
相手が"Would you like to come for a cuppa?"と言ってくれて、
数分黙り込んでから"I would like to come over, thank you"
のような、文法的にも表現的にも正しいことを発するよりも、
相手が言ったすぐ後に"Yes! going! your house! thank you!"
と瞬時に返す方が、キャッチボールとしては心地よいし、
相手も十分わかるので、「こんなのでいい」んです。
昨日Dr.Kと、過去にとてつもなくレベルアップした生徒さんについて
話していたんですが、彼女は授業の課題もちゃんとやってこなかったし、
「聞いてるのかな?」な反応な授業が時にありましたが、
とにかく物怖じしない度胸、「私が話します、聞いて!」
な良い自信が常にありました。
講師としては、英語の文法的にも、言い回し的にも
「ちょっと直させて!」な部分がいくつもありましたが、
それでも彼女は突っ走り続けました。
誰より友人をたくさん作り、彼まで気がついたらできてました。
そして英語はむしろ、その副産物のようにして、
勝手にレベルアップしていきました。
「単語力がないからしゃべれないんです」
「文法を理解できてないのかな・・・」
は、正直ある程度のレベルに到達してから気にかけるべきこと。
現地についたら、まずはどんどん話しかけて、
トライ&エラーを繰り返して、実戦から学んでいってください。
だってね、失うものなんて何もない。
外国人の私たちが英語で間違いをおかしても、恥ずかしいと思ってるのなんて、
自己評価の高いあなた自身だけ。
周りはむしろ「英語をちょっとでも話してすごい」と思っていると思います。
せっかくだから楽しみましょう、海外生活!
(そしてみなさん「NZの人は最後までちゃんと聞いてくれて優しい」
と言っていたので安心して飛び込んでみてくださいね)
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